2011年4月19日火曜日

緊急カンパ呼びかけ!

今日で警察署管轄の緊急通行車両確認標章の期限が切れてしまいま
した。以降は各自治体から発行される「災害派遣等従事車両証明
書」が必要となるらしいのですが、大手企業や大手NGO以外は
相手にしないといった態度で、嘆かわしいことですが、どこかの自
治体との癒着でも無い限り発行は難しい状況です。よって今後は移
動の度に、多額の高速道路料金が必要となります。今後とも継続的
な支援活動を展開していくために、より一層のカンパを切にお願い
いたします!

補足 仙台市について

午後1時くらいに仙台バードランドに到着し、一息ついたH.R.P.は仙台市内でも物資を配ろうと、メンバー1人をバードランドに残して車を走らせた。障がい者支援ボランティアのため、僕らと入れ違いで仙台入りしていた名古屋のHC PUNKバンドOUT OF TOUCHのリーダーこと中村君の紹介先である太白区長町のCILタスケットに到着しました。障がいを抱えて被災した人たちへの支援を行っているこの事業所で、玩具類を中心に物資を渡すことができました。決して長い滞在ではなかったけれど、これまで訪れた殆どの避難所での対応とは違い、事業所スタッフたちの対応はとても暖かいものでした。きっと僕自身が同じ仕事をしているからだけではなく、血の通った真剣な表情に見えました。さらにもう1カ所と車を走らせ向かった先は若林区のサンピア仙台でした。避難者数が多いとの情報もあり、沢山の子供たちに会えると期待していたのですが、ここの対応は大きな避難所特有の冷たい反応でした。物資の置き場もなく、児童向け書籍・玩具も余っていると受付スタッフに言われた僕達は、施設内を見てみようと2階の避難所へと入って行きました。そこには食料・衛生をはじめとする物資はある程度充実していましたが、今の子供達にしたら、こんなの読まねえよというような、古くさい児童向け書籍が少し置いてあるだけでした。これまでやってきたように子供達やお母さん達に直接話しかけようと試みましたが、この避難所は宿泊設備を兼ねた巨大スポーツ施設であったため、避難者の方は客室と利用されいた個室内で過ごしているとのことでした。これでは被災した人々と触れ合うことができません。やむなく、ここでの物資配給を断念することに決めました。行政側の言いなりに運営している避難所では、Human Recovery Projectのような支援グループはこういった壁にぶち当たります。ゲリラ的に行動するしか道はないのだなと感じた2日間だった。

宮城県石巻市、南三陸町について

南坂です。
4/16、17日に我々が宮城県石巻市、南三陸町にて活動してきた事について纏めさせて頂きます。
こちらもツイッターにて(@na0kio416、@ANAFUZZ,etc)リアルタイムに報告させて頂いており、重複している部分は御座います。
今回の支援としては漫画家の山本夜羽音氏(ツイッターアカウント@johanne_DOXA)が中心として行っているおたぱっくという支援活動と連動し、集まった物資をこちらで現地にお届けしてきました。

文章が石巻市に行ったり南三陸に行ったりしますが、時間の経過で文章を進めて行こうと思います。

まず最初に我々はNGO団体ピースボートとの情報交換等を以前から行っている為に石巻市専修大学に向かいました。
石巻市にある湊小学校等の避難所になっている場所に子供向けの図書館となる様な施設を作ろうという話をピースボート経由でさせて頂いていたのですが、当日行ってみると本当に現地の状況はリアルタイムで変化してて問題が生じます。
宮城県では教育委員会により今月末、早ければ21日頃から学校を再開させようとしている為にスペースが無くなってしまう可能性があるとの事です。
しかしこの話を詳しく聞いていくとまた行政のひどい仕打ちがある事がわかりました。
学校が再開する事により各学校の教室で避難していた人は体育館に避難せざる状況へ追い込まれます。
しかし現在そういった場所で避難していた人を含め、今回動こうとしている復興を理由とする避難所の統廃合によって避難所から溢れてしまう人は約2000人いるとの事です。
行政側の裏事情としては再開を決定したが、実は避難所から溢れる人の事を考えていなかったのです。
石巻全体に言える事なのですが、僕らが3月22日から数日石巻を見た時点を考えると凄まじいスピードで復興していたのですが、お話を聞いていてその背景が見えてきました。
これはあくまでも推測であり行政の発表ではありませんが、石巻市は今後今回の被災による復興のモデルとされるのでしょう…実際にメディアでも多く取り上げられているのは石巻市が多い印象がありましたが今回行ったことにより理由がわかった気がします。
海外のメディアで高速道路の復旧の早さが取り上げられたと言った話があったりしますが、そういった面での海外に向けての情報の発信目的等があるのではと思います。
確かに学校が再開されたりする事は喜ばしい事だが、果たして犠牲者を数多く生んだ上での教育に本当に意味があるのか…今こういう時だからこそそれ以上に必要で学ばせるべき事があるのではと個人的には思いました。
復興が早い事は喜ぶべきことであり、望むことではあるが必要以上の困窮者を生んでの復興に対しては疑問を抱きます。
石巻市では今後こういった問題が多く出てくるのではと予想されます。
そういった事もあり自衛隊の数、ボランティアの数が明らかに他の地域より多い事もあり復興は非常に早い印象です。
ただそれでもまだ被害の大きい地域は瓦礫も散乱し、船や車がありえない場所にあったりします。
石巻に関してはこの日はお話を聞くだけになり、昼頃には南三陸町に向け出発しました。

おそらく今回の地震による影響と思われますが、道路の通行止めもあり色々と迂回しながら次は南三陸町に行きました。
正直に言うと南三陸町に近づき言葉を失いました…ニュースでここから見える映像を見た事あるなぁと思いながら元々中心地となっていた地点に近づいて行きましたが本当に津波の威力を感じました。
今まで何箇所か被災地を見ましたが、今まで見た中で一番津波の恐ろしさを感じたのは南三陸町でした。
高台にある建物を除き、形が残っている建物は鉄筋コンクリートで作られた団地等が本当にポツンと数件あるだけです。
その残っている建物の屋上には4階建てにも関わらず、車、更には家が乗っていたりしました。
田んぼには無数の車が散らばっていたりもしました。
そういった光景を実際に見て、一緒に行ったメンバーの中には吐き気を催し涙を流したメンバーもいました。
そういう場所を抜けながら志津川小、中、高校+ベイサイドマリーナにて一家族にお渡ししました。
どこの避難所も状況は同じであったが避難所として物資の受け入れは今はしていませんとの事でした。
そしてこれもどこの避難所に関しても同じで避難している子供に「おもちゃ欲しい?」って声を掛けたら驚く程の勢いで子供が集まってきました。
そして後には子供に限らず避難をしている大人達も集まってきました。
避難所としてもその光景を目の当たりにして我々の行動に関して黙認しているという状況でした。
中には津波で家を流され、持っていた漫画を無くしてしまったがそれを取り戻せたといった子もいました。
行政としては目に見える数で全ての判断をしていて、細かい配慮まで行き届いていないという印象をここで受けました。
皆が約一ヶ月前までは多少の違いはあれど同じ水準で生活をしていた人達なのです。
同じ本を何度も何度も読み、遊びつくしたゲームで満足しているかどうかが実証出来たと思います。
行政としてこういった物資の受け入れをしてくれないのはわかったが、反対に必要としている人が無数にいる事も今回改めてわかった。
この事に関しては写真も数多く残してあるので後日アップします。
細かい事を言うと小学生以下の子供に関してはトミカや仮面ライダーや○○戦隊○○ジャーというような物を欲しがるが、小学生以上になると大半がゲーム機を欲しがる。
贅沢と判断する方もいるかもしれないが、現代という時代を考えてもらう事も重要かと個人的には思います。
下記も同様の内容だがツイッター(@ANAFUZZ)より抜粋。
「子供も大人も娯楽に飢えていた。いい大人が子供に混じって、自分達も読めるような本や玩具を漁っていた。ボラセンなど行政側は全く分かっちゃいない。何度も言うが、彼らはつい1ヶ月前まで、俺等と同じ生活をしていたんだぜ。どこの避難所でも、本や玩具は十分と門前払い。実態は一月前に配られた本を何度も読み返さなきゃならない状態。子供のおもちゃも大人の価値観で決められた適当な物。あいつらがほしいものはPSPやDSなんだよ!平等の原則だか何だか知らないが、我慢させるなんて馬鹿げてる。」
ちなみに人生ゲームはどこに行っても欲しいという人がいました。
あとトランプは数多くあったが、麻雀を欲しいという人が多かった気がします。
荷物を提供してくれる方の善意を無駄にしない為にも集荷する側は自分の責任を持てる的確な集荷でなければいけないと再認識しました。
残念だが、漠然とした想像で動こうとすると生まれるのは現地の満足より自己満足で終わってしまうとわかりました…。
善意ある有り難い物資とは言え、世代の古い物とかだと子供達も用途が無く結果的に廃棄という結果になってしまう可能性もあるので可能な限り現地の状況を情報収集をして動く事が必要です。

暗くなってきた事もあり、この日の就寝場所とした石巻市に戻りました。
食事等も済ませ寝ようとしましたが、やはり東北はこの時期でもまだ夜中は寒いです…昼間は暖かく半袖でも良いくらいですが、夜は相当冷え込みました。

そして二日目は石巻市で二箇所動きました。
渡波保育所、鹿妻小学校という所です。
状況はいづれも同じで避難所としての物資の受け入れというより子供達に声を掛けると実際は欲しがるといった形でした。
一つ非常に心外であり虚しい事があったのでそれも記載しておきます。
我々がこういった活動をしている中で、その施設の指導者の方が我々に「子供達にこういう理由で集められた物資であり、こういった事で届けられた物だから感謝するように教えてあげてください」との事だった。
その場では軽く流したが、後に一緒に動いていた皆と話したが我々の感じた事は皆同じでした。
感謝される為に物資を持って行ってるんじゃありませんので…これは物資を提供して頂けている方も同じで感謝や見返りを求めているのでは無いだろうと思う。
更に言うのであれば本当に小さい子供も含め自発的にありがとうと言ってきていた。
いっぱいいっぱいなのは理解出来るが、こちらの意図しないそんなくだらない指導を我々に押し付けられてもなぁという感じです。

石巻市での活動を切り上げ、我々は同行していたメンバーのバンドが仙台のバードランドという場所でライブがある為に仙台に移動しました。
仙台市中心部では津波の被害は無く地震による被害ばかりである為、お店も再開している所が多かったです。
ライブ前に地元の人とも色々お話をしましたが、復興に向けて前向きに考えている事が多く感じられました。
そしてバードランドの方も数々の被災地の支援に向け動いている事を聞き、我々も出来る限り連動して動ければと感じております。

最終的な纏めとしましては協力的な避難所もありましたが、行政から指定されているような大きな避難所になればなる程物資としては受け入れてくれないといった状況でした。
しかし、実際には必要としている方は数多くいるというのが実情。
今後もこうした支援活動する意味は十分にある事を実感しました。
そして街毎の状況が違う事を再認識しました。
宮城県石巻市では復興のスピードは速いがその背景に見える困窮状況があり、同県南三陸町では石巻市に比べ復興スピードが遅い理由として行政の力の入れ方が違う事で人手が足りなかったり、福島県では原発による風評被害があったり…把握出来ていない部分でも数多く地域毎に問題は多種多様あると思われます。
こういった情報もこれから色々ネットワークを広げ、行政等の手の届かないが実は必要とされる支援を行えればと思います。
同サイトのコメント欄やツイッターを含め交流の方法はあると思いますので、各被災地で必要とされる物資の状況等があれば教えて頂ければと思います。

以上また乱文であり説明不十分な部分もあると思いますが、質問や意見、活動参加や気になる事があれば同サイトのコメント部分やツイッター上にてお声掛け頂ければ、対応させて頂くつもりですので宜しくお願い致します。

福島県いわき市について

南坂です。
4月8日に福島県いわき市で活動した事について、基本的にはツイッター上にて@na0kio416というアカウントにて現地報告をリアルタイムをしていましたが、遅ればせながら纏めさせて頂きました。
いわき市での活動の大まかな概要としましては、現地の二箇所の幼稚園への物資支援、原発に近い距離での自宅避難者の支援、置き去りにされる事を余儀なくされた動物達の救出を、ガイガーカウンターを用いての放射線量を測定しながら行いました。

HUMAN RECOVERY PROJECTとして色々な被災地域に行きましたが、福島県は津波の被害は勿論あるのですが、それ以上に原発による被害が大きい事というのが印象です。

まず我々が向かったのはいわき市勿来のカトリック幼稚園、小名浜の愛宕幼稚園という二箇所の幼稚園です。
この幼稚園二箇所に関しては避難所になっている訳では無いので、子供用のおもちゃを主とする物資を持って行ったのですが、幼稚園自体は津波の被害を受けている訳では無いので、そこまで困窮しているという状況では無いというのが正直な個人的な感想でした。
しかし地震という面での恐怖を体感してる人は多く、子供達も地震が来ると泣き出す子もいたりするというお話を聞きました。
更には子供によっては家を無くしてしまっている子も少なからずいるとの事でした。
ここではそういった子にお預けしたおもちゃで遊んでもらえる事を願って物資をお渡ししました。

次に向かったのが、いわき市中央台南小学校という所です。
物資に関しては基本的な食料や飲み物に関しては足りているで、娯楽用品となる物を主にお渡ししました。
ここで一つ生じた問題があったのでその点に関して触れておくと、物資の中にニンテンドーDSというボータブルゲーム機がありました。
しかし、ゲーム機本体だけでゲームソフトがありませんでした。
付近で営業していたお店でカンパ金を遣わせて頂き、ソフトを購入しお渡ししましたが、ゲーム機だけでも非常に有難いとは思いますが、実際の所生殺し状態になってしまうという事で、そういった物資を支援頂く際には極力何かソフトも付けて頂けると喜ばれると思います。
この小学校で避難されている方というのは福島第二原発から20km圏内の楢葉町という地域の方なのですが、ここで聞いたお話が個人的には凄く印象的でした。
一見した感じ子供よりも老人の方が多くいらっしゃる印象を受けたのですが、お話を聞くと小さい子供がいるような方は県外や姉妹都市に避難しているとの事でした。
老人はなぜ同じように避難をしないのか…理由は出来る限り地元を離れたくないからです。
偏見である部分もあるかもしれませんが、生まれてからずっと楢葉町で育った方もいれば、人によっては定年後ののんびりとした生活を求めてその辺りに住んでいらっしゃった方もいるのかと思います。
中には家を無くした方もいるとは思いますが、そうでは無い方もここでは多数います。
家もあり、中には動物も家に置いてきてしまった方もいるでしょう。
そして避難所となっている場所も後には出て行かなければいけない状況になると思われます。
そうなれば帰る家があるにも関わらず、動く事でさえ一苦労というような老人が仮設住宅なりを探さなければいけない状況も生まれてくる事が予想されます。
この状況に関して個人的には原発に対してより一層怒りを覚えたという気持ちで、凄く心が動かされました。

そして次にいわき市の楽寿荘という介護施設に向かいました。
ここでは女性用の下着や生活用品を主にお渡ししましたが、やはりここでは大まかな物資に関しては足りているような状況のようでした。

物資に関してここで簡単に纏めさせて頂くとどこも避難所としては物資は足りているというような状況でした。
しかし、それは避難所という場所に集荷されている物資は十分にあるかもしれませんが、居住者である方達全てに行き届いてないという事が分かる出来事がありました。
最後にとある地点(詳しい場所名に関しては忘れてしまいました…すみません)で物資をお預けしようとした時に、その近隣で自宅避難されている方が我々に「水はありませんか?」と声を掛けてきたのです。
南相馬市でも同じような状況がありましたが、避難所としては物資はありますが、こういった自宅避難されているような方には物資は行き届いていないのです。
行政側としては必要な物資を平等に配給しなければいけないというような事を言っていましたが、その方の話を聞くと十分に水を必要としている方と判断出来るような状況でした。
我々は残っていた物資をお渡ししましたが、行政としては「公平の原則」とやらで、勝手に配給してはいけないとの事です。
これはいわき市に限らずほとんどの避難所に関して言える事ですが、水等の物資に関しては受け入れをしてもらえません。
しかしこういった方が出てくるのはどういう事なのか…単純に配る人手が足りないの一言で済ませる事では無いのではと個人的には思います。
行政側がそういった対応であるならば、我々のような活動をしている者でこういった方達を対象をした支援を行う必要があると再認識しました。

ペットに関してですが20km圏内を含め、自宅に人がいない所でも確認出来る地点ではほとんどの家でご飯等をあげている様子で少し安心しました。
家から離れようとしないペットも数多くいますが、中には放浪犬とでも言うべきか、ふらふらと歩き続けているようなペットも何匹か見かけました。
保護を求められているペットなのかどうかという点についてこちらとしても難しい部分が多いので、ご飯をあげるくらいに留まりますが、中には津波により家、飼い主を無くしてしまった動物もいるかもしれません。
避難所の生活者であり自宅にペットを置き去りにされる事を余儀なくされているが、一時的にご飯をあげたり、世話を定期的にしている方にはそういった家庭用の首輪や目印になる物の支給を行うなど行えばどうかと思います。
そうすればこちらとしてもそういった保護するべきペットもわかりやすく、こちらも動物の保護をするといった活動も出来るのでは思います。
最終的に残ったペットフードに関しては福島県いわき市のライブハウスソニックにて委託させて頂きました。
ありがとうございます。

放射線量に関してですが、基本的な経路としてはいわき市から原発方面に向け沿岸部を極力北上していく形で進みました。
やはり福島第二原発に近づくに連れて、放射線量は右肩上がりという状況でした。
福島第二原発から20km圏内に入る地点にはバリケード+場所によっては警察が立っていて進入を警告するような状態でした。
我々は20kmに入れるようなルートから進入し、動物や人がいないかを確認しながら進みました。
最終的な地点としては12.9km地点まで進みましたが、ここでの折り返しを判断しました。
理由としては信号一つ、極端に言えば一歩進む毎に明らかに数値が変わっている事がガイガーカウンターに表示される数値よりわかったからです。
更には原発作業員と思われる人たちが乗っているバスが我々の横を通過しました。
その風貌は全身白の防護服にゴーグル、専門的なマスク…この姿+数値の異常な急上昇にこれ以上先に進むのはただただ自分達の身を危険に晒す狂気者だと判断し、折り返す事を決断しました。
詳しい放射線量は同サイトの4月15日記載の文面にて当日ツイッターにてリアルタイムに報告した物が纏められていますので参照ください。
前日に震度6の余震があり、更には風向きにより数値の変化もありますが、危険に晒される可能性が原発に近づけば近づく程大きくなる事がわかります。

そして最終的な纏めになりますが、福島県の色々な地点を見た感想としては他の地域に比べて少し活気が無いように感じました。
その理由として簡潔に述べると原発があるからです。
地元の人からは反感を買う部分もあると思いますが、福島県での被災地域に関しては自衛隊やボランティアの数も少なく街の様子もゴーストタウンを思わせるような雰囲気です…これも原発による風評被害の影響でしょう。
他の地域に関しては今後の復興に向け、自分達が頑張ればと活気に溢れている印象です。
しかし原発の影響により避難している地域は、復興しようにも自分達ではどうにも出来ず先も見えない絶望感…これは推測ですが飯舘村で発見された自殺者もおそらく原発による影響でしょう。
我々は完全なる原発否定者です。
原発を推進するので現地の方の悲痛な声、状況一度見てもらいたいと思います。
その上でも推進をするのであれば理由を是非教えて頂きたい。
その理由がどこまで納得させられる話であるか…どちらにしても人道的な部分を疑う結果になると思いますが…。
風評被害もあるので念を押しておくと、恐れを抱く気持ちもわかりますが、少なからず避難対象になっている地域以外に関しては一部を除き、数値はそんなに過敏な反応するような数値ではありません。
それも我々の報告を見て頂ければわかると思いますので参照下さい。

以上乱文であり説明不十分な部分もあると思いますが、質問や意見、活動参加や気になる事があれば同サイトのコメント部分やツイッター上にてお声掛け頂ければ、対応させて頂くつもりですので宜しくお願い致します。

2011年4月15日金曜日

いわき市遠征中継

4/8 第三次支援部隊がスペイン、イタリアのジャーナリストを乗せ、いわき市に遠征した。
今回の任務は米、水などを避難所に直接配送。子供支援物資を被災地域保育園に配送。原発周辺地域での放射線量測定。自宅避難者の支援。被災動物の救出等。
以下、現地に向かったボランティアからのTwitterによるリアルタイム報告

*4/8 23:00を基準に
*15時間前 これから福島県いわき市に向かいます。最初は東京都中野区。ガイガーカウンターによると空気中0.12μSv/h、地面0.21μSv/h。東京都はやっぱり全然平気。
ガイガーカウンターによる放射線量測定。三郷ジャンクション移動中の車内0.21μSv/h。ほんの僅かだが数値が上がった感じ。でもこの前南相馬に行った時の感じからすると全然平気。

*14時間前
ガイガーカウンターによる放射線量測定。常磐道守谷PA、空気中0.30μSv/h、地面0.83μSv/h、室内0.26μSv/h。近付くに連れ若干数値が上がってる感じ。

*13時間前
ガイガーカウンターによる放射線量測定。常磐道東海PA、空気中0.20μSv/h、地面0.30μSv/h。北に行くに連れ一時下がっている。やっぱり距離じゃなく場所で違う感じ。
ガイガーカウンターによる放射線量測定。常磐道高萩IC付近、車内の空気0.35μSv/h。徐々に数値上昇中。

*12時間前
ガイガーカウンターによる放射線量測定。福島県いわき市勿来、空気中0.30μSv/h、地面1.27μSv/h。地面の数値は上がってきたな…空気中は大した上がってないけど地面は染み込んじゃっているのか?

*11時間前
いわき市勿来のカトリック幼稚園にて、おもちゃや絵本、ぬいぐるみを配りました。
いわき市の勿来から小名浜へ6号沿いを移動中。地震による道路の隆起は大分激しい。でも津波の被害はそこまで大きくない雰囲気。コンビニとかはやってて、パチンコ屋もやってたりする。

*10時間前
ガイガーカウンターによる放射線量測定。福島県いわき市小名浜の愛宕幼稚園、空気中0.30μSv/h、地面0.64μSv/h。ここもまだ数値はそこまで高い訳では無いか。
福島県いわき市愛宕幼稚園で物資の受け渡し。

*9時間前
ガイガーカウンターによる放射線量測定。いわき市中央台南小学校、空気中0.43μSv/h、地面0.75μSv/h。若干また少し数値が上がってる。楢葉町と言う原発から20km圏内の地域の方がここに多数避難してらっしゃるようです。

*8時間前
いわき市愛宕幼稚園から中央台南小学校への移動は極力沿岸部を通り、津波の被害状況を見た。やはり沿岸部はこの辺りも大分被害がある。ただ実際に見た感じで南相馬、石巻、いわきのそれぞれに被害の様子は違う。

中央台南小学校に避難している原発から20km圏内に住居を持つ方で老人の方は特に地元を離れたくないと言う人が多い。原発のおかげで家は残ってても集団生活を余儀なくされ、更にはこれから仮設住宅なりを探さなければいけない方の気持ちが計り知れない。

*6時間前
ガイガーカウンターによる放射線量測定。福島県いわき市の楽寿荘という介護施設、空気中0.85μSv/h、地面0.88μSv/h。いわき市内は放射線量にそこまで異常な数値は見られない。ここで物資が全部配り終わるのでとりあえず日没まで北上しながら測定。様子見ながら動きを考える。

ガイガーカウンターによる放射線量測定。ナビによる距離だと原発までおよそ18.4km地点末続駅辺り。車内の空気中1.04μSv/h。もうこの辺りはゴーストタウン。更に北上中。

ガイガーカウンターによる放射線量測定。広野町に入った。原発までの距離は15.6km。空気中1.22μSv/h、地面2.85μSv/h。やはり数値は上がってきてる。そして犬を既に発見。さっき買ってきた餌をあげてまた北上中。

*5時間前
ガイガーカウンターによる放射線量測定。福島県広野町の二つ沼自然公園付近、空気中2.05μSv/h、地面3.49μSv/h。警察と話したがここは20km圏外だと言ってる。ナビでの原発までの距離、地図での計測でも明らかに20km圏内。何か変だ…注意も強くせず、気をつけてください程度。

原発までの距離に関して我々は第二原発までの距離で計測、避難区域の距離は第一原発からの距離って事で我々の勘違いでした…すみません!

って事で今第一原発までの20km圏内に突入。ならは南工業団地という所。ガイガーカウンターによる数値で車内の放射線量は1.19μSv/h。段々上がってるんでゆっくりと計測しながら進んでいます。

*4時間前
ガイガーカウンターによる放射線量測定。第一原発まで約13.5kmの地点で楢葉北小学校付近での計測。空気中2.50μSv/h、地面4.87μSv/h。

ガイガーカウンターによる放射線量測定。第一原発まで約12.9kmの地点での計測。空気中4.78μSv/h、地面9.49μSv/h。一つ前の地点と600m程しか変わらんのに数値が凄く上がった…確実に数値が上がってきててここから先は振り切るのがわかりきってるのでここから引き返す。

以前南相馬市から南下しての12.5km地点で計測した時とは明らかに数値の上昇度が違う。これが風向きによる地域の違いなのか…それとも昨日の地震でまた数値が上昇してるのか。昨日の地震による原発の影響等を帰って調べてから色々考えてみよう。

*3時間前
福島県いわき市、ライブハウスソニックにて余ったペットフードを委託しました!ありがとうございました!

同行した外国人記者団のレポートは以下に掲載されています。
http://www.ilpost.it/2011/04/09/a-10-chilometri-da-fukushima/

2011年4月13日水曜日

3月収支報告


このプロジェクトを立ち上げて以来、多くの皆さんから金銭、物資両面で多額の援助をいただいており、まことにありがたい限りです。
遅くなりましたが、3月末までの収支内容の報告をします。

収入(3/23~31のカンパ)237,500円

以下、カンパ協力・物資提供の協力をしてくださった皆さんです。ありがとうございます。
※口座入金の方は字数制限で名称が削れてしまってます。申し訳ございません。

太田ノブ、リカ、みなみさか、斉藤日和、ゆうこ、塩沢、しのぶ、三橋、ヨシダカオリ、ウサミ ナオコ、コンドウヒデ、ムラセ モトヤス、ヤマウチトモ、ナカツカトモヒコ、ナカイエ アツシ、コバヤシ ヒテ、ラバンデリア、ヨシダジン、ヤマザキツヨシ、ヤマハラ ススム、アラキ タカシ、ナリモト エリカ、クロダケンジ、マツナガ ワタル、ハタ サヨコ、エンドウタエコ、ナカザワスケートソサエティー、ワタヌキマキコ、カトウヒロタカ、クボ、中村橋スーパーやまさん、沼袋土橋商店、大勢の伊達直人(敬称略)

支出302,698円 (3月期-65,198円)
以下、支出内訳です。
23日やまさんストアー 食品4,820円、23日つるかめ氷川台 缶詰3,465円、23日コモティーイイダ氷川台 食品5,619円、23日ドンキホーテ新宿 食品 清潔用品 日用品38,045円、23日ダイクマ平和台 食品 清潔用品 日用品33,948円、27日島忠府中 ペットフード、資材、防塵用品14,602円、28日土橋商店 下着 靴下145,005円、29日島忠春日部 防塵装備16,838円、29日島忠春日部 防塵装備980円、23日燃料1,870円、23日燃料6,196円、23日燃料5,122円、28日燃料2,950円、23日オマタ ポリタンク3,150円、25日燃料6,800円、27日燃料6,288円、23日食料7,000円

引き続きカンパのご協力をお願いいたします!

2011年4月6日水曜日

南相馬

金谷です。

3月30日。南相馬社会福祉協会に物資を届けに行きました。物資の引き渡しに少し時間がかかりそうなので建物から少し離れたベンチで一服。そこへ軽トラックに乗ったおじいちゃんが現れ僕の事をじーっと見てるので一礼。おじいちゃんに「あんたボランティアの人かい?」と話かけられたので「いや‥まぁ‥ええ‥東京から物資を届けにきてまして‥」と歯切れの悪い返事を返すと「今日配給じゃないって聞いてたんだけどなんとかならんのかねぇ」とひとりごとのようなまったりとした福島弁。おじいちゃんの話によると、明日の配給日まで食べる物なく近所の人達も困ってる。ダメ元で社協に来たとの事。自分達の車にもまだ食料が積んであった事を思い出し穴水さんに報告。穴水さんはおじいちゃんの話を聞き、とりあえず次の日の配給までの食料としてカップラーメン一箱を渡しました。社会福祉協会に集まった物資は皆平等に渡すのが原則なので‥内緒で持って帰ってもらってました(まだ受け渡す前の物資だったし(笑) その後も自分達で色々な所をま
わり直接物資を渡す事ができました(犬、猫達にも)

2011年4月5日火曜日

南相馬市の状況について

南相馬市の状況についてですが、デマ情報も多いので何点か言っておきます。
まず私達が3月29、30日に南相馬で実際に活動をしていた時の事はツイッターでリアルタイムに報告もさせて頂いてます。
その報告の中の放射線量について、いくつかの地点で測定し報告致しましたが、この放射線量について正しい数値か否かは私達も測定の素人ですのでわかりません。
ただ機械を使用し測定している事実は写真としてツイッター、並びにこのサイト内の南相馬の写真の中にも数枚残っています。
使用した機械に関して、数値の高い所では表示上限である9.9μSv/h、低い所では0.3μSv/hと言った表示もされており、目安としては十分に参考に出来ると思います。
3/29、30の状況ですので現時点では変化もある事は確実ですが、デマかどうかの判断として上記を踏まえてお考え頂ければと思います。

本題に入っていきます。
南相馬市に関して、物資に関しては私達は伺った3月30日時点では石巻市同様倉庫には最低限の量はあるという印象です。
しかしやはり問題は自宅に残る人、南相馬市においては原発の影響で一時は避難を余儀なくされたが自宅に戻った人達に対する物資の提供である。
実際に地元の方にも伺った人の中には食料が無く、午前中の時点で明日まで食べる物が何も無いという方がいたりしました。
そういった声を聞いたのもあり、私達は南相馬市においてはこういった人達を探しながら物資を配ったりといった活動を行いました。
しかし石巻市と同様に物資の有無よりもどの家には人がいる、いないと言った状況把握がしきれていない事が満足に物資が行き届かないという状況だと感じました。

そして状況把握が出来ていない理由として人手不足という点も当然ありますが、風評被害という点も理由としてあります。
これは私個人が感じただけでは無く、実際に私達が物資を提供した地元の方達からも出た声です。
小さい事かもしれないが実例を一つ挙げると、実際に私達が南相馬市内で物資を配る為に個人宅を回っていた時に、避難所に連れて行けない動物(主に見えたのは犬)が残されている家が沢山ありました。
汚れてしまっていて見た目では野犬と感じてしまう犬もいましたが、私達が触れ合った犬達は噛み付いたりする様な狂暴な犬ではありませんでした。
これは同サイト内に犬と戯れる私達の写真からもお分かり頂けると思いますし、ツイッターでリアルタイムな報告もしてます。
偶然にもこの翌日様々なニュースで避難地域に残されたペットが野犬化で噛み付いたりしていると報道がありました。
実際にそういったケースもあるのかもしれませんが、私個人としては報道でそこまでの過剰な表現を用い警戒をさせる程の狂暴な犬が多数いるとは思いませんし、噛み付く犬なら東京都内にもいるでしょう。
しかしその様な表現により、地域に近づく事を恐れさせている…これは風評としても判断も出来るのでは無いでしょうか?
言い方は適切では無いと思いますが、これ同様大小問わずともメディアが刺激のある放送を求めるが故に過剰な表現により作り上げる風評被害もあると思います。

そして上記も全てここに繋がりますが、風評被害の全ての原因は原発です。
風評被害の定義として、災害、事故及び不適切又は虚偽の報道などの結果、事実無根の損害を受けることとあります。
その上で、原発問題で関係機関が発表する内容以外の情報を流すと摘発というのは冗談にしか思えません。
そう思う理由は、仮に摘発の理由として風評被害を減らす為ならば、曖昧な表現の情報、世間が知りたいとされる十分な情報を開示しない事は世間を惑わす風評にならないのでしょうか?
例えば「直ちに人体に影響を及ぼさない」なんて曖昧な表現が安心を生むかどうか…むしろ疑問を抱き、惑わされた人が何人もいると思います。
デマ情報の中には、曖昧な表現であるが故に憶測をし、その憶測が悪意は無かったが結果的にデマになってしまったと言う事も可能性としてはあるのでは無いでしょうか?
当然悪意のあるデマ情報もあるとは思っていますが、事実を隠すような曖昧な表現により惑わせる事も十分悪質だと私は考えます。
摘発を今後していくつもりなのであれば、それに伴った確かな情報を発表し、筋の通った理由を持って行使するべきだと私は思います。
それが現状の風評被害を少なくする為にも現状のしっかりとした情報提示は最低限必要だと感じています。


余談ではありますが、デマによる風評を防ぐ為でないとしてもう一点考えられる摘発の理由としては、公表したくない事実を発表されるのを防ぐ為です。
私は自ら計測した放射線量の数値により、避難地域の指定を放射線量による判断の指定では無いと考えています。
仮に数値を問題として避難をさせるのであれば、避難地域を見直すべきです。
違うと言うのであれば、現状の避難地域の指定理由、確実な安全を確信出来る情報をただちに公表するべきだと思います。
しかしそういった安全をしっかりと公表しない事から、私は原発から20km圏内を指定とする理由は現状の放射線量による判断では無く、今後この地域が危険に及ぶ可能性がある為だと考えています。
その危険が起こる可能性が高いのであれば、恐らく危険だとハッキリ言うでしょう。
しかし危険だとも言わない理由として、もし何も起きずにこのまま事が済んだ暁に更なる原発の建設を推進しやすくしようとしてる為ではないかと私は推測しています。
その為に危険性を示唆する原発の情報を発信され、原発の推進をし辛くする事を回避する為の情報規制と私は考えています。
この期に及んでまだ原発を推進する人に言いたい。
そんなに作りたいなら隔離された土地に引越し、自分の家の前に作ってください。

ちなみに実際の地点毎での3月30日時点での放射線量の詳細については私達数名の3月30日のツイッターを見ればわかると思います。

以上非常に乱文ではありますが、南相馬市の状況です。
状況というよりも私情が多くなり、Human Recovery Projectのページに記載するのはどうかと思いましたが、何卒ご理解頂ければと思います。
賛否両論あるとは思いますが、時間の都合上、少し慌ててアップした為に記載するべき事項が抜けている可能性があるので追記がある場合には改めてアップ致します。

2011年4月1日金曜日

石巻市、南相馬市の被害状況について~石巻市

南坂と申します。
石巻市、南相馬市に自分の目で確かめ感じた事を個人的感情等も交えつつ報告しようと思います。
反感を買う言葉も中には出てきてしまうしれませんが、自分が感じたリアルを出来るだけ伝える為です。
この文章はリアルに拘りたいので自分が直接現地で感じた事、現地で聞いた声だけを参考に全てを書きます。
ニュースやメディアの情報からの情報は一切無いリアルな状況です。
しかし現地の状況はリアルタイムに変化しています。
この報告に関しては3/23~3/26までの石巻市周辺、3/29~3/30までの南相馬市周辺の報告であり、今現在の状況と考えるのでは無くあくまでも参考としてお考え下さい。
長文になってしまいますので石巻市と南相馬市を二つに分けてアップしようと思います。


まず石巻市についてです。
物資に関しては、満足の行く範囲とは言えないまでも、必要最低限は行き渡っているのが印象です。
おそらくこの状況はどこでも同じと思われます。
断続的に必要な物(食料、生理用品、etc)はこれからも必要ではありますが、今集中して届けるよりもこれを長期に渡り継続的に届けられるかどうかがこれからの問題になると思われます。
衣類等も余っていると言っても良いくらい倉庫には置いてありました。
しかし状況としては一日におにぎり一個、水一杯と言った場所も数多くあります。
原因としては、食料が足りていない事よりもそれを細かく配る人、車、炊き出しをする人が足りていないという事です。
ただし、これは避難所に限った話です。
石巻市で実際に聞いた話ですが、避難所(特に指定されている避難所)に関しては物資が行き渡るが、例えば津波により家を失った為に知人の家に住んでいる方等には物資が行き渡っていなかったりします。
理由は物資が足りていない、届けないのでは無く、どこにそのような人がいるかがわからないからだ。
さらには船等に道を塞がれ通れなくなっている道の先に残る形がある家に住んでいる人も多数いると思われる。
この様な人を探す為にも何人もの人が街を歩き回り、一件一件を呼びかけて回るくらいの事をしなければ全てを掌握出来ないと思われる。
皆、避難所に行けば良いのでは無いかと思う人もいるかと思うが、石巻市に置いては宮城県全体の避難民の3分の1が避難している状況で避難所も人を受け入れられなかったりする状況なのです。
では離れた場所の避難所に行けばと良いと考えられるかもしれないが移動する為の公的交通網は遮断され、ガソリンも無い状況で動けないのです。

現地の人たちも現実を受け入れ前向きに動こうとしている為、必要とする物資も変わってきています。
私が石巻市にいた時点では「長靴」「ゴム手袋」「パンクの修理キット」等が現地の方の声として挙がってきました。
パンクの修理キットは私も現地の声を聞いてなるほどと思いましたが、皆さんガソリンが無い為に自転車で移動をしようとします。
しかし瓦礫の上を走る事によりすぐにパンクをしてしまう為です。
こういった形で常に現地ではリアルタイムに状況が変化している為に出来る限り物資の支援に関しては最新の現地の状況を入手する必要があります。

物資に関しては以上です。


次に石巻市で自ら聞いた話では津波で被害を受け中がボロボロでも形がある建物においてはそのまま使用する人もいます。
実際に私もそういった建物(介護施設)内で津波により入ってしまった泥の掻き出しを行いました。
建物の一階部分に厚さ20cmはあるであろうヘドロが一面に満遍なく敷き詰められています。
更にはそのヘドロの中に家具が散乱しています。
こういった家具等を全て外へ出し、その上で泥を全て掻き出し、その後で全てをブラシ等を使い綺麗にする。
工程としてはシンプルで簡単に聞こえるかもしれませんが、老人用のオムツは水を吸った為に物凄く重くなり、倒れたタンスの中にも泥が大量に入り込み、一つ一つの物が通常よりも重くなっています。
更には足場もガラスが散乱していたり、ヘドロに足を取られたりと思うように行動が出来ません。
11人で半日の時間を費やし、作業が進んだのは建物の大物家具を外に出し、泥の掻き出しを何部屋が終了しただけです。
他の部隊も他の建物で同じ作業を行いましたが、一日に進むペースには限界があります。
理由としてはそういった建物がある地域は電気が通っていない為に辺り一面が暗闇に包まれたりする為です。
共に行動をしていたNGO団体の方の計算では、この泥の掻き出しを今のペースで行うと石巻市全体に残された住居だけでも十数年かかるとの事です。
この点においても言えるのは人手が圧倒的に足りないという事です。


他にも数多く伝えなければいけない事はありますが、文章をまとめるのに時間がかかる為、南相馬市の事も含めまた明日の午前中にでもアップさせて頂きます。

ただ全体的に言えるのは「人手が足りない」という事です。
この文章を見てる方で味噌汁一杯を貰い、泣きながら「暖かい、美味しい」と食べた事がある人はいるでしょうか?
今現地の人が発する「ありがとう」の言葉を聞けば本当の感謝の気持ちを感じない人はいないと思います。
現地の人は本当に物資一つ、食料一つが届く事、全ての事に心から感謝をし、電気が灯る事に感動し、生きています。
個人的な意見ですが、メディア、周りに動きに踊らされ買占めをしてる方が現地の様子を見ると、おそらく買占めをする気は失せ、自分が愚かとさえ感じる方もいると思います。
勿論現地に行く事が全てとは思いませんし、日常を保つ事は大事だと思います。
金銭面、家庭環境等の生活に害の及ばない範囲で、協力出来る事を一人一人が行って欲しいと切に思います。


以上乱文では御座いますが石巻市の状況に関しての簡単な報告とさせて頂きます。


「欲」の為では「生きる」為に助けを必要としてる方が沢山います。
今こそ皆で助け合いましょう。

南相馬の写真 Pictures from Minami-Souma