2011年5月10日火曜日

宮城県南三陸町5/1.2時点での様子について

南坂です。
5月1、2日にHRPとして南三陸町で活動した事についての簡単に纏めさせて頂きます。

今回の大まかな活動概要を最初に報告させて頂くとまず一つは前回同様に漫画家の山本夜羽音氏(ツイッターアカウント@johanne_DOXA)が中心として行っているおたぱっくという支援活動と連動し、集まったおもちゃ、様々な種類の本の提供。
そしてもう一つの活動として今回初めての試みとなる現地の子供達と共にkidszineを作るという活動です。
また今回も時間の経過に沿って報告させて頂こうと思います。

個人的に今回は行く道中にも復興を感じさせる部分があったのでそちらも簡単に記載させて頂きます。
まず我々は4月30日の深夜に中野区鷺宮から車3台にて出発致しました。
まず最初に仙台でメンバーが一人合流する為、仙台で高速を降りました。
ここでの行動としてまずの朝食及び昼食の確保を致しました。
そして仙台での合流が無事過ぎ、南三陸町へと向かう道中、石巻市にて給油を致しました。
この何気ない行動に関して何故わざわざ記載したのか。
それは震災十日後に我々が訪れた時点では考えられない事だったからです。
震災十日後の仙台市に関して空いているコンビニは見かける程度にしかなく探すのも一苦労の状況、石巻市においてはライフラインは全く無くお店どころか街の明かりも無い状態でした。
私事にはなりますが、時間も約二ヶ月経ち、復興してきている事を実感し、凄く嬉しくなりました。

そして今回の活動の拠点として当初の目的地にしていた南三陸町に到着し、今回被災地を始めて訪れるメンバーがいた事もあり、まずは少し車を止め街の様子を見ました。
被災地の様子に関しては以前からお伝えしてる通りメディアから察する何倍も深刻な状態です。
そして街の復興に際し、動き出している象徴と捉える事も出来るのだろうが私は海沿いの街にも関わらず、磯の香りでは無く色々な物を焼却してる匂いだけがした事に少し切なさを感じました。

そしてここからが活動としての本題なのですが、まず我々は南三陸町のボランティアの拠点となるベイサイドアリーナにて情報収集、物資の提供を行いました。
ボランティアセンターにて避難所の状況を聞き、今回向かう避難所に向けての情報収集。
そして前回来た時にこういった事をしていたのか定かでは無いが、ボランティアセンターが炊き出し情報含め「どこの避難所でいつ、こういう催しがある」と言ったイベントの取り纏めを行っていた。
ただ近々の予定では組み入れてもらう事は難しく、事前にお話をしておく必要がある為今回も我々は各避難所でゲリラ的に活動した。
実際にこのベイサイドアリーナでも物資の提供をゲリラ的に行った。
目に入る子供達全員に「本あげるよ!」と呼びかけ、車の傍でダンボールを広げ欲しい物だけ持って行って下さいというフリーバザースタイルでの提供です。
前回南三陸町に入った時から2週間振りに訪れたのですが、この時点で上手く言葉に出来ない変化を感じました。
ダンボールを広げるのに辺り、場所を確保する為に街の方が率先し自衛隊の方と交渉し、傍に軽トラックを止め、ダンボールを見やすい位置に広げる…以前は全てを僕らがやっていたのですが、今回は何を言うでも無く、避難者の方が自ら動いてくれました。
私は子供達の呼びかけで車から離れていた為あまりお話を出来なかったのですが、「(行政等が)自分達が欲しい物資を受け入れてくれない、だからこうやってあなた達みたいな人が来たら自分達で動いてるのよ!」との声を現地の方から聞いたとの報告も受けました。

そして少し話はそれますがここで共に南三陸市に入った愛知の家族がいたのですが、ベイサイドアリーナでボランティア登録をして活動をする事に決まったのでお別れした。
この家族は5月7日時点で伺ったお話ですが、GWを過ぎ格段に人の数が減っているとの事でした。
それと地元の人の声として、ボランティアの人も色々頑張ってくれてるのに私個人の小さなお願いを頼むのも申し訳無いと言っていたりしたとの事です。

そして私達は入谷小学校に向かいました。
校庭ではこの日からサッカークラブの練習が再開されたらしく、父兄の方が沢山いました。
この方達に避難所の受付はどこか尋ねると「ここだよ!」との返答、この時点で私は冗談で言っていると思い、避難所になっている体育館の中へ行ってみました。
ここの避難所を統括していらっしゃる方はその時は用事でいない模様、お話を聞くとここの避難所は行政等の組織を通さずに自分達で物資の受け入れ等をやっている模様でした。
先程校庭で話した父兄の方々の発言はあながち冗談では無かったようで校庭に戻りその方達に声を掛け、車の傍で段ボールを広げバザー形式で物資の提供しました。
ここで二人の方が声を掛けてきました。
一人は小学生の女の子、「私は元々この学校に通っていたけど遠くの施設に避難している。今日は寂しくなってここに遊びにきた。私が避難している所には同じ様に避難している子供が沢山いるからこの物資を是非持っていって欲しい。」と要約するとこうい
った内容でした。
もう一人声を掛けてきた女性は「私達の所にもある程度まとめて持ってきて欲しい、そうしたら私達がその周辺の避難所に配ったりするから」といった内容。
今まで避難所に行き、僕らから声を掛け避難所を紹介してもらう事はあったが今回のように避難者の方から要望を受けたのは珍しいケースでした。

そして次に向かったのが先程の小学校で女の子から要望があった宮城県大崎市にある仙庄館という旅館。
南三陸町からは約90km離れた所。
私達が着いた時はちょうど夕食の時間だったのだが、そこの避難所を統括してらっしゃる方がマイクを用いて呼び掛けをしてくれたり、父兄の方々が物資の積み降ろしを率先して手伝って頂けたりと非常に協力的でした。
こちらの旅館も避難者の方自身で役割を決め、避難所として運営している状況でした。
こちらの方で聞いたお話だと「行政は行政でやってもらわなければいけない事が山ほどある。避難者が行政に頼ってしまう事でそれが遅れてしまうと思う。出来る事は自分達でやる。それが早期復興に繋がると思う。」との事でした。
こちらの避難所では実際にこう語った方が仮説住宅の入居の話等を行政との間に入り、避難所を取り纏めている状況の様です。
そしてこちらの施設では私達の必要な物だけ提供し、余った物は持ち帰るといった物資提供のスタイルが気に入って頂けた事もあり、この日はここの施設で避難されてる方、旅館の皆様のご好意によりこちらで宿泊させて頂きました。
本当にその節はありがとうございました 。

そして翌日、子供達が登校するのを見送らせて頂き、大崎市仙庄館を後にし私達は南三陸町へと戻りました。
この日は朝10時からキッズジン部隊が志津川小学校にてアポを取っていたので志津川小学校へ向かいます。
そしてここで一時キッズジン部隊と物資提供部隊に別れ、行動しました。
私は物資提供部隊だった為、キッズジンに関しての報告はこの文面とは別でさせて頂きます。
物資提供部隊は歌津中学校にて活動しました。
この中学校でもやはり今までと同様物資としての受け入れはして頂けませんでしたが、入り口のロビーを貸して頂きバザー形式で提供しました。
ここではすぐ近くの歌津小学校で衣類のバザーを体育館を使用し、大規模に行っていましたので、そちらの入り口付近にいたボランティアの方に僕らのバザーの呼び掛けもして頂く様お願いしました。
そしてこちらでも地元の高校生が率先して最初から最後まで手伝ってくれて、助かりました。
ありがとうございます。
そしてこちらで対応して頂いていたボランティアの方が私達のバザーの反響ぶりを見て最終的に余ったら何箱か置いていってほしいと声を掛けられました。
個人的見解ですが、その方は私達の活動の様子を見て、本等の需要の多さを目の当たりにして驚いていた印象があります。

そしてこちらでの物資提供を終え、私達は志津川小学校に戻りキッズジン部隊と合流。
ここで「め組JAPAN」という団体がバスで志津川小学校に来ました。
石巻には以前から入っているボランティア団体でしたが、南三陸町で見かけたのは初めてでした。

そしてここから馬場中山生活センターor泊浜生活センターという避難所に行ったのですが、どちらだったか記憶が定かではありません…申し訳御座いません。
ここでも相変わらずと言った状況。
避難所としての受け入れはしてもらえず、バザー形式で提供するという状況でした。
ここでの物資提供を終え、先ほど行った歌津中学校に戻り、何箱かの物資を提供しました。
そして前日入谷小学校で物資を持ってきて欲しいと声を掛けて頂いた登米市登米公民館に向かいました。
この公民館で対応して頂いた行政の方は一日前からこの避難所に来ているとの事で状況をあまりわかっていない様子で物資の受け入れもどこかに確認をしたりとタジタジでした。
そんな状況の所に昨日私達に物資を持って来てと言って頂いた女性が現れました。
行政の方に「なんで受け入れ出来ないの?スペースはあるでしょ。あんたらが何も出来ないなら余っても私達が他の避難所に配るから受け入れるからね。」と言った様子でした。
そしてここでの物資の提供を終え、今回の活動は終了し、東京に戻りました。

非常に長くはなりましたが、大まかにまとめると行政の方等の公平な物資の提供といったスタイルに痺れを切らしたり様々な考えはありますが、ほとんどの避難所で避難者の方が自分達のより良い生活を確保する為に動いている、避難所を自分達で作り上げているという印象があります。
その為私達の車からダンボールを降ろし後は見ているだけでも大丈夫という状況でした。
数日前に訪れた時とは状況が変わっていて、私達自身も驚きました。
これも地域でのコミュニティーが強く、皆が力を合わせているからこそ出来る事であると思います。
これはメディアでは報じられない実態だと思います。
メディアで報じられる表面的な綺麗事で済まされない事は多々現地では起こっています。
この文章を読んで頂けた方には事実を見極めた上での行動をお願いしたいと思います。

文章にした為乱文で見辛い点も多々あるとは思いますが、取り急ぎ報告とさせていただきます。
もっと詳細を知りたい、わかりにくい部分があればこちらのコメント欄やツイッター(@na0kio416)等に連絡頂ければお話させて頂きますので宜しくお願い致します。

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