2011年12月13日火曜日

New Yorkのフェミニスト・グループ-Permanent Wave


11月30日にN.Y.在住の日本人女性からメールでこんな連絡があった。

Human Recovery Projectの活動をネットや映画「Radioactivists」で知り、日本の反原発運動をやっているグループを応援したい、12月22日にベネフィット・ライブをすることになり、その収益金をH.R.P.に送りたいということに決まった、という何とも嬉しい知らせであった。

彼女たちは、N.Y.を中心に活動しているフェミニストのグループPermanent Waveという大半がRiot Grrrlに影響を受けた人たちの集まりで、D.I.Y.の精神でライブを開いたり、女性やLGBTQの権利に関するデモをやったり、相互援助などを通して一緒に活動をしている。

アメリカでも、福島はみんな思ってたより本当にひどいことになってる、ぐらいの情報は薄々入ってくるけど、日本で今どんな人がどんな生活を送ってどんな思いをしながら過ごしている、どんな情報操作がある、ということはほとんど入ってきてません。

今回、連絡をくれたメンバーは、そういう思いで3/11後にjfissures.org というウェブサイトで情報発信をしている。

Human Recovery Projectが発行している"Want Your Voice" zineのissue 2(2012年1月発行予定)に彼女たちへのインタビューを掲載予定となっている。

2011年10月23日日曜日

Human Recovery Projectブース出展






VIVISICK presentz

PUNKS WERE MADE BEFORE SOUNDS vol.21

VIVISICK 15 Years Anniversary SPARKS!

2011/10/30(日) at 東京上野公園野外音楽堂

JR上野駅7分、 地下鉄千代田線湯島駅・銀座線上野広小路駅3分

SUNDAY 30 OCT 2011 at TOKYO UENO PARK OUTDOOR MUSIC HALL

JR UENO st 7min, TOKYO METRO Chiyoda line YUSHIMA st & Ginza line UENO HIROKOJI st 3min

Live act:

THINK AGAIN

KILLIE

GRIND SHAFT

OLEDICKFOGGY

SLIGHT SLAPPERS

CRACKS

Oi-SKALL MATES

RAPPA(岩手)

MASTERPEACE(大阪)

ORDER(愛知)

RAGS(沖縄)

VIVISICK


Art On Stage:
ARTERRO

Photo Exhibition:
チャンネルシックス
(ニートアナーキック集団 from沖縄)

出展&店舗:
沖縄料理赤花(新宿ゴールデン街)
カレー屋SHOGO(ISTERISMO)
ザ・トリスターズ(世界の焼鳥)
人間堂
無国籍衣料店TSUNAMI(沖縄)
ARTISTDOOR(大阪)
DISKUNION新宿
GARAKOZY(画家)
HAIR JANEI JONES "MAKO"(宙光花)
HARDCORE SURVIVES
HUMAN RECOVERY PROJECT
IRREGULAR RHYTHM ASYLUM
LA PUNTA(沖縄)
NEVER MIND(沖縄)
PUNK TRIBE(名古屋)
RECORD SHOP BASE
SCISSOR HANDS REPAIR
SPICE ADDICTS
UK EXTRA
ZOMBIE MARKET
45REVOLUTION

11:00 OPEN
12:00 JUST SPARK!!

DOOR ONLY 1500Yen


この企画のあがりは、仙台のライブハウス、バードランド内のレーベル【CLENCH THE FIST】、東京PUNKSによる"なんでもない人らによる「区別なき」支援"【HUMAN RECOVERY PROJECT】、札幌のSLANG・KO氏主催の震災支援プロジェクト【NBC作戦】に送ります

■入場料はおつりのないようにお願いします■入場後の出入りは自由ですが手にハンコを押させていただきます■野外ライブになりますが、ステージ、客席共に屋根がありますので、通常程度の雨による中止はありません■トイレは会場の両脇にございますが、紙は各自ご用意ください


■持ち込んだゴミは各自必ずお持ち帰りください。フード店から出たゴミはそのフード店設置のゴミ箱、もしくはそのお店に直接返すようにお願いします。なお、ビン類の持込みはくれぐれもご遠慮願います。

Human Recovery ProjectはVeganたこ焼き(?)と被災地でも大好評のバナナジュースなどで出店。

そして10月31日が締め切りのふくしま集団疎開裁判の署名活動を会場で行います。この動きは、子供の安全な場所での教育を求める裁判です。馬鹿げたとしか言いようがない高濃度放射能汚染に毎日体を蝕まれなければいけないのが日常となっていいのだろうか? いったいいつまで大人しく傍観するつもりなのか? それを個人の人間性に問わなければいけないとH.R.P.は考える。今までLive会場やら参加してきたデモでこの署名を集めてきたけど、締め切り前日となるこの日の大規模なイベントでPunksのみんなに更なる協力を呼びかけたいと思う。

ふくしま集団疎開裁判の会

Much Thanx To VIVISICK!!!!

2011年9月9日金曜日

台風12号による被災地へのカンパ呼び掛け

我々Human Recovery Projectは2011年8月下旬~9月上旬に掛けて日本を襲った台風12号により被害を受けた地域の支援の為のカンパを強く呼び掛けます。

東日本大震災から約半年…今度は平成最悪と呼ばれる台風が紀伊半島を中心に日本を襲い、場所によっては一時間に120ミリを超える猛烈な雨が降り、家や車を流され、道は遮断され、土砂災害までもが起きた地域、家が流されないまでも家は床上浸水で水道、電気等のライフラインは遮断され、空からの救援等の特殊な救援が必要な孤立された村までもがある。
非常災害対策本部も設置される大災害。
実際に三重県熊野市のある地域では水道が復旧するのは3ヶ月近くかかる見込みで、今は遠くから引っ張ってきた水を何人もの人が利用したりする状況があり、水が欲しかったりする人もいる。
量販店が普通に営業していても家を流され車は水に浸かり使えなくなり、財産となる物を失い、物を買えない状態の人も少なからずいる。

東日本大震災をキッカケに集まり、実際に東北に支援に行き、色々な状況を見てきた我々にとってこの災害を見過ごす事は出来ない。
東日本大震災直後に実際に話した被災者の方は味噌汁一杯を涙ながらに「美味しい、ありがとう」と言いながら食べていた、その光景は今も忘れられない…だからこそ我々は被災者の側の立場に立って物事を考えたい。

今回のカンパはHuman Recovery Project内の一人の故郷である三重県熊野市を中心に支援をしようと考えています。
ただカンパを集めて宙に浮くような所へそれを預けるのでは意味がありません。
だからこそ地元の利を活かし、情報収拾を行い、その中でも必要とされる所に責任を持って届けます。
実際に我々の仲間の実家は床上浸水で床を張り替えなければならない状況、周囲でも特別養護老人ホーム等、福祉施設や学校も床上浸水による被害を受け復旧作業に追われているという情報が現地から入ってきています。

被災地に行く事が出来なくてもカンパという形で支援は出来ます。
それが一円であろうと五円であろうと大勢の人の気持ちが集まれば大きな支援になります。
カンパは下記口座への振込みを始め、9.11新宿原発やめろデモやライブ等Human Recovery Projectメンバーの関わる場で集めます。宜しくお願いします。

※今回の台風による被災に対してのカンパは「クマノ」と記してください。

カンパ先口座:城南信用金庫 高円寺支店 普通 327580 ヒユ-マンリカバリ-プロジエクト

2011年9月3日土曜日

9,11 新宿原発やめろデモ!!


我々HRPはサウンドカー、KILL THE TEPCO Blocにてアピール!!


9.11 新宿・原発やめろデモ!!!!!

■KILL THE TEPCO Bloc!!!!!

FORWARD 
ELESICK
CHEERIO
PiLVET
PINPRICK PUNISHMENT
ねたのよい
つちっくれ
パンクロッカー労働組合

■DANCE Bloc!!!!!

出演者第一弾発表!!!!

【DJ】
DJ KENT(FORCE OF NATURE / The Backwoods)

【LIVE】
ECD

and more!!!!!

SOUNDSYSTEM:
コバヤシステム(WEEKEND)


■ドカドカうるさすぎるマーチングバンド!!!!!

だれでも参加可・経験不問・リーダーなし・指揮者なし・持ち曲なし・ルールなし・練習無用・うちあわせなし。
打楽器・管楽器・弦楽器・笛・盆踊りの和太鼓・ブブゼラ・カズー・なべ・フライパン・ゴミ箱・ダンボール・ラジカセ・風鈴・その他をご持参ください。


※各ブロックの詳しい紹介はこちら

原発やめろ広場(アルタ前)

【登場】
柄谷行人(思想家、文芸評論家)
飯田哲也(ISEP 環境エネルギー政策研究所所長)予定
げんきいいぞう(芸人)

【LIVE】
いとうせいこう×DUB MASTER X

and more!!

【フリー・スクリーン】
新宿アルタ前広場に東京都提供のフリー・スクリーンが出現しました。プロジェクターがあれば、誰でも自由に、反/脱原発のメッセージや動画を映写できます。高さ約3.5m、材質は白の鉄板です。光沢があるので、光がよく反射します。

詳しくはこちら
http://911shinjuku.tumblr.com/

2011年8月5日金曜日

WHAT A HELL FUKUSHIMA 8月6日 遂にリリース!!!


Human Recovery Project発、反原発コンピレーションアルバム"What A Hell Fukushima" 遂に完成。8.6 東電前・銀座 原発やめろデモにて販売します。

参加してくれた各バンド、ディストリビューター、レコード店の方々には随時、発送・手渡しいたします。

取り扱い先(順不同、随時更新予定、下記店にて随時販売)
SENSELESS RECORDS(東京・八王子)
Record Shop BASE(東京・高円寺)
RECORD BOY(東京・高円寺)
UK EXTRA(東京・高円寺)
NAT Records(東京・新宿)
DISC SHOP MISERY(広島)
RECORD SHOP ANSWER(愛知・名古屋)
PUNK AND DESTROY(大阪)
toosmell records(東京・吉祥寺)
disc union(関東各地)
record KNOX(茨城・水戸)
SELECT SHOP Charlie(岐阜)
Irregular Rhythm Asylum(東京・新宿)
VOX POPULI(岡山・津山)
Delta Market(神奈川・横須賀)
Age Of Distress(京都)
Waterslide Records(東京)
K-CLUB(高知)
反骨商店 NEVER MIND(沖縄)
bar SIX(沖縄)
Lilmag(東京)
タコシェ(東京・中野)
素人の乱5号店(東京・高円寺)
模索舎(東京・新宿)
CHICK SALE(茨城・土浦)
中野MOONSTEP (東京・中野)
小岩bush bash (東京・小岩)
Acclaim Collective (東京)
sunday worst enemy distro (北海道・旭川)



その他収録各バンド物販や各地ディストロ等にて販売

このCDの売り上げは全て南相馬市へ直接持って行きます。そして、津山発 "HEAL COMP" と連携して、LIVE会場などの販売ブースに並ぶ予定です。
購入して頂いた方には在庫がある限りでファンジン[WANT YOUR VOICE]を付けます。
ジンの内容は主にHRPが3.11の東日本大震災以降行っている被災現地での活動の中で聞いた現地の声を纏めたりした物です。

2011年8月3日水曜日

避難所の子供の楽器を保管できる倉庫の提供募集!

志津川高校避難所が8月中に閉鎖すると新聞で発表がありました。それに伴い、仮設住宅の傍に設置できる子供の楽器(ドラムセットや電子ピアノ等)を保管、または演奏できる倉庫の提供を募集します。

提供または心当たりなどある方はご連絡ください。

pilvetpampi@yahoo.co.jp

志津川高校避難所で、バンドを結成した直後に津波の被害で避難を余儀なくされた中学生の男の子に出会いました。メンバーが揃い音を合わせる前だったそうです。今回第12部隊で避難所に練習用ドラムを届けた際、想像以上の腕前に驚き、音楽に対する熱意を感じました。彼の夢であるバンド活動を応援したいです。

2011年8月1日月曜日

7/3 People's Action!! 報告

ご報告が遅くなり申し訳ありません!
7/3に我々HRPを中心に、オタッパックQBとも連携しながら南相馬市にて行ったPeople's Action!!の報告です。

この日は南相馬市の3カ所の避難所で、歌声支援、スイーツ炊き出し、最後の原町第二中学校ではプロ漫画家による似顔絵、漫画教室、河村宗次郎氏(兵庫県被災者連絡会会長)、月下美紀氏(書家、被爆地広島の語り部)による生活再建に向けての特別講演会とシンポジウムを開催致しました。

前日深夜に東京を出発した我々HRPメンバーは総勢約20名。殆どがアンダーグラウンド音楽シーンを支えるバンドマンが中心。今回の歌声支援は我々HRPがそのようなバンドマンの集まりだからこそできる、『本領発揮』とも言える文化支援でもあるんです。

まず向かったのは、原町石神第一小学校の体育館にある避難所














その後向かったのが原町第一小学校の体育館避難所

この2カ所の避難所では、被災地で歌声支援を何度も行っているプロのジャズピアニストであり、歌唱教室も手がけている川村善一氏と合流し、我々HRPバンドとがバックバンドになり、避難所の方々のリクエストに応え、避難所の方々がマイクを握る『生カラオケ』といった様な形。皆さん生演奏をバックに最初は緊張気味で歌っていましたが、すぐに順番待ちをする程のリクエストで、大盛り上がりでした。


その横では、バナナジュース、クレープのスイーツ炊き出し。クレープ部隊にはフランス料理店で腕を磨いたシェフも擁し、本格的な炊き出しとなりました。
普段ある炊き出しでも、フレッシュな果物を使った甘いものといいうのは中々無いそうで、小さいお子さんから、ご高齢の方まで大変人気でした。



そして最後に向かったのが原町第二中学校。
食堂をお借りして、歌声支援とスイーツ炊き出しに加え、
オタパックQB山本夜羽音氏を中心とするプロ漫画家による似顔絵、漫画教室コーナー

そして兵庫県被災者連絡会会長である河村宗次郎氏による自立復興講演と、世界的書家であり被爆者の語り部としても有名な月下美紀氏による講演会を行いました。
自らが被災者であり、その立場から『復興』『自立』についてのご経験、アドバイスを話して頂きました。

河村氏は阪神淡路大震災で被災し、自らが中心と成り行政に『モノを申して』真の生活再建について訴え続けているご経験から、「みなさんも立ち上がって下さい」と話す。このシンポジウムの前には南相馬市桜井市長との会談も実現し、様々な意見交換が成されました。



そして月下氏は広島で原爆に遭った体験から反核平和運動に奔走。その思いを書道というアートを通じて表現されていらっしゃるので、「いろいろ話すより書いて伝えます」と『生氣』という字を力強く書いて披露して頂きました。


この一日の『支援』は単なる『ボランティア』の慈善的な活動ではなく、真の復興へ向けた直接的な行動であったと思います。今後も我々は『ボランティア』という枠に決してとらわれる事ない、独自の直接行動を展開していきます。

2011年7月15日金曜日

6月会計報告

大変遅くなりました。6月の会計詳細を報告します。
6月は漫画家の山本夜羽音氏が主宰するおたぱっくQB(救援便)http://blog.livedoor.jp/otapackqb/ の物資をはじめとして、物資そのものの提供が多い傾向にありました。また、現地には多くの団体からの物資が届き、集約所に入りきらない状態のところも多く、配給物資の購入は控えめになりました。今月の特筆的な事項としては、避難所の被災住民との個人的な関係性を築き、それに基づいた細やかな支援が始まった事です。今月から音楽ソフトなどを個人のニーズに応じて提供しています。また、我々はバンドメンバーの集まりであるが故に、現地に置いても文化的なアプローチを求められます。6月になって歌声支援(生演奏カラオケ)という形で、やっと我々の本領を発揮できる形態の支援に着手することができました。今後とも継続的にこういった文化的支援を展開していきます。

先月も多くの皆さんからカンパをいただきました。ありがとうございます!
引き続き、原発やめろデモにおいて多くのカンパをいただきました。

6月の収支内容の報告です

収入(5/27~6/24のカンパ)207,317円
支出153,868円 (6月期+53,449円) 
7/14現在の累計収支+888,052円

詳細については会計簿において報告用のフォーマットを作り、画像に落としました。以下をご参照ください。
カンパくださった方々の名称につきましては、申し訳ございませんが敬称を敬称を省略させていただきます。

今後の展開として、未だ飲み水に不自由している南三陸地域に飲料水を大量に供給できる方策を模索中です。
また、南相馬では緊急時避難区域(原発20~30km圏)に自宅に残ってはいるが耕作できない農家の方が大勢いらっしゃり、そういった方を中心に、未だに食料等の根幹物資が不足しているようです。
物資についてはこの上記2地域に集中的にかつ大々的に配給を行いたいと思います。
これまでに増して大々的な資金が必要となります!引き続き圧倒的なカンパをお願いいたします。
カンパの振込先:
城南信用金庫 高円寺支店 普通 327580 ヒューマンリカバリ-プロジエクト

2011年6月25日土曜日

20011.7.3南相馬支援People'sAction

地元の人も支援者もみんな集まれ!

行動内容

1. 各避難所における歌声支援→プロのJAZZピアニストであり歌唱教室も手がけている、川村善一氏の演奏により、避難所の皆さんも共に歌っていただき、元気を出してもらおうという支援行動。年配の方の懐メロを中心に、子供達も歌えるジブリソングなどの広範なレパートリーを用意。同時に、子供達や若年層も参加しやすい、バナナなどの生ジュースを一緒に作っていくという「スイーツ炊き出し」も展開。

2. 市内3カ所の避難所訪問の最後に、原町2中体育館(もしくは2階食堂)にて、兵庫県被災者連絡会会長である河村宗次郎氏による自立復興講演と、世界的書家であり被爆者の語り部としても有名な月下美紀氏の講演を行い、その後、生活再建に向けたよろず相談会、もしくは桜井市長、避難所職員代表、住民代表も交えた、シンポジウムを催していきたい。更に同時並行して、自ら被災地支援積極的に乗り出している漫画家、山本夜羽音氏を招き、子供達の似顔絵や漫画教室なども行う予定。


具体的なスケジュール

1. 石神第一小学校避難所での歌声支援—会場:体育館

内容:みんなでうたおう!(歌声運動)といっしょにつくろう!(生ジュース炊き出し)

時間:9:00スタッフ会場入り〜準備〜 ◎10:00スタート〜11:00終了〜片付け〜11:30完全撤収



2. 原町第一小学校避難所での歌声支援—会場:体育館

内容:みんなでうたおう!(歌声運動)といっしょにつくろう!(生ジュース炊き出し)

時間:12:00スタッフ会場入り〜準備〜 ◎13:00スタート〜14:00終了〜片付け〜14:30完全撤収



3.原町第二中学校避難所での歌声支援—会場:体育館もしくは2階食堂

内容:みんなでうたおう!(歌声運動)といっしょにつくろう!(生ジュース炊き出し)

時間:15:00スタッフ会場入り〜準備〜 ◎16:00スタート〜17:00終了〜片付け〜



4.原町第二中学校避難所での講演会と相談会もしくはシンポジウム:体育館もしくは2階食堂

内容:兵庫県被災者連絡会会長河村宗次郎氏と世界的書家、月下美紀氏の講演—相談会、シンポジウム

同時並行して、いっしょにつくろう(生ジュース炊き出し)と漫画家山本夜羽音氏による子供似顔絵コーナー

時間:17:30講演開始〜18:00シンポジウム(仮)〜19:00相談会20:00終了〜 ◎ジュース&似顔絵は17:30スタート〜19:00

終了〜片付け〜

目的

1. 震災による津波などの直接的な被害に加え、福島第一原発事故による放射能被害によって4分割されている南相馬市の特殊な状況を支援者の立場からより具体的に把握するために、より多くの被災住民と支援者が接触できる機会を作っていきたい。



2.被災住民と支援者との直接的なコミュニケーションによって、組織的行動ではなし得ない個人間レベルでの精神的つながりの輪を少しでも形成し、より細かいニーズに応じた支援体制へと結びつけていきたい。



3.我々がこれまで他の地域でやってきた、被災住民も共に参加する形の支援を南相馬に於いても展開することによって、自立復興に向けたモチベーションの上昇を促す一助としていきたい。



4.復興に向けて、他の自治体(東京都杉並区など)との有機的なつながりを 住民レベルでも形成していき、我々が構想する「自治体スクラム」推進に向けて働きかけていきたい。



5.阪神淡路大震災の被災者団体会長である河村宗次郎氏の経験を具体的に伝える事により、この地域に於ける自立復興へ向けた具体的提言を伝授していきたい。

2011年6月21日火曜日

WHAT A HELL FUKUSHIMA

H.R.P.発 反原発コンピレーション
『WHAT A HELL FUKUSHIMA』
2011.8.6 Release
¥1,500 Compact Disc
28 bands/28 songs/28 objections

我々は3.11以来、東北各地で支援活動を展開してきた
その中で見た福島が受けた傷はあまりにも深く、あの『復興』から置き去りにされた光景、人々の表情を忘れる事はできない
と同時に、その日常を引き裂いた『原発』への怒りを感じない日は無く、『原発』が無くなるまで我々は声を上げ続けていく
全国から呼応した28バンドもの仲間が、忙しい中渾身の音源を届けてくれた事
それが『反原発』という声をさらに大きくできると確信させてくれる
原発が無くならない限り復興は無い
真の復興の為、我々はこれからも仲間と共に動き続ける


"WHAT A HELL FUKUSHIMA"

bands are
・PINPRICK PUNISHMENT
・SCREWITHIN
・DETRYTUS
・THE HAPPENING
・PiLVET
・LIFE
・VELOCITYUT
・DROPEND
・OUT OF TOUCH
・HAAVA
・DISKRIMINADOS
・JABARA
・FORWARD
・DUSTPAN
・Seb Roberts
・ATTACK SS
・CHARM
・RAPPA
・LASTLY
・ENSLAVE
・MIDDLE
・ORIGIN OF [M]
・DESPERDICIO
・GRIND SHAFT
・ENDZWECK
・VIVISICK
・Z
・LACKS


このCDの売り上げは全て南相馬市へ直接持って行きます。そして、発売されたばかりの津山発 "HEAL COMP" と連携して、LIVE会場などの販売ブースに並ぶ予定です。

2011年6月7日火曜日

弟9部隊 気仙沼、南三陸

6/4~5、気仙沼南三陸に入りました。今回は東京から気仙沼へ『歌声喫茶』の支援で向かった川村さんという方の音響サポートをメインに活動を展開しました。両日共に現地へ入った隊員より報告のメールが一日ごとにあったので、以下に転載します。

1日目気仙沼小学校と中学校にて、歌声喫茶のPA音響サポートとバナナジュース、ZINE用のノート(詳しくは前回の[WANT YOUR VOICEを一読下さい])を展開しました。
避難所はどちらも全体で100人位と、事前に聞いていたほどの規模ではなく、土曜日で人がいない(ほとんどがガレキの撤去などで出払っていた)ことから、歌声喫茶には小学校で10人くらい、中学校で20人くらいが参加。中学校では一部のコアなお年寄りファンの心をつかんで非常に感謝されていました。
バナナジュースが老若男女、被災者、ボランティアの区別なく非常に喜ばれたというのは大きな収穫です。歌声喫茶は対象年齢が高く老人の方中心なのに対し、バナナジュースは子供たちを中心にバカ売れでした。ノートに関しては自分達になついた子供たちが熱心に書いてくれましたが、お年寄りなどは恥ずかしがっていました。

この2つの避難所はどちらも支援物資があふれていて、自衛隊の炊き出しも定期的にあり、ボランティアもしっかり組織されていた印象です。おたぱっく物資(おもちゃ、本などの子供向け、娯楽物資)の引き受け先を探すことも個人的任務のひとつだったのですが、マンガやオモチャはあふれていました。
そして他の地震津波の被災地同様に人々は比較的明るく、こちらから話しかけなくても話しかけてくれる感じでした。
また特徴的だったのが「一度きりボラ」に慣れているようで、「またいつくるかわかんないんでしょ?」とか「どうせすぐ帰っちゃうんでしょ?」などと散々言われました。その通りなので返す言葉もなかったのですが…それでも胸に突き刺さっています。

最後に気仙沼の被災状況ですが、そのリアス地形という特徴的な地形からか独特なものでした。まったく無傷な地域と一面ガレキの山の地域との間に境目がなく、ほんの少し土地が隆起している場所では建物も道路も無事で人々が生活を営んでいる…といった様子です。震災直後でもないので車の通行に困ることはほとんどないと思ったのですが、我々が宿泊した民宿の周囲(階上・岩井崎エリア)は今でも冠水している状態です。

明日の行動で決まっているのは午前中の歌声喫茶のみ。人数も増えて午後からいかに行動を展開できるか…が課題となります。オヤスミナサイ。

2日目報告
朝7時半起床。民宿(気仙沼の[崎野屋[)のおじさん&おばさんに話を聞いているうちにあっというまに出発時間に…
本日は朝9時に気仙沼面瀬中学校からスタート。後発便と合流して歌声喫茶のPA音響サポート、バナナジュースとノートを展開しました。
面瀬中学校は避難所となっている体育館のすぐ横に仮設住宅があり、すでに大半が入居をすませていました。避難所に残っているのは抽選に落ちた人達で、みな行政への不満を口にしていました。総数70〜80人。物資は足りている様子で、マンガやオモチャも沢山ありました。
歌声には子供も参加。次々にリクエストがあり、小規模ながら音楽がもつ人を癒す力を実感させてくれました。
そしてここでもバナナジュースは二度買い足しに出るほどの好評ぶり。風邪をひいているひとが「久しぶりに起きた」とか言いながらお代わりしてくれていました。バナナジュースの大きな利点として、被災者とダイレクトなコミュニケーションが取れるという点があります。子供も老人もバナナジュースを通して会話してくれていたので、様々な情報が得られました。
二時間くらいで撤収し歌声チームとお別れ…歌声喫茶支援のおかげで第9部隊は成り立っていたので本当に感謝です。

この後一応気仙沼ボランティアセンターに立ち寄るも仕事はなさそう…なので、南三陸町ベイサイドアリーナに移動して写真洗浄をすることにしました。

未だ通行止めの45号線を迂回して1時半頃到着。自衛隊の車両も増え、避難所としての役目を終えたベイサイドアリーナは雰囲気が違ってみえました。

写真洗浄は地味だけど、誰にでもやれて常にニーズがある作業です。ハケと筆と歯ブラシで丁寧に汚れを落とし、バラ写真・セット・アルバム・画集や賞状・ノートなど種別に吊るしてゆきます。「なにかやりたいけど、どうしたらよいかわからない」という個人ボラにはおすすめです。
日が暮れる前には洗浄作業時間が終了してしまうので、志津川高校の物資担当”ともちゃん(前回の南三陸支援の際大変お世話になった)"に連絡を入れてバナナジュースを配れるか確認。結果志津川高校に移動することに決定。
ちょうど東京から来ていた一行が炊き出しの最中だったので合同でバナナジュース作戦決行。バナナジュースの機動力を実感。避難所の中まで入ってほぼ全員に配りました。
皆が作業している間に俺はひたすら物資担当の"こうちゃん(初回におたぱっく物資を持っていった時HRPを歓迎してくれた方)"&"ともちゃん"とお話し…仮設住宅の問題点やメジャーメディアのふざけた報道姿勢など…今後につながる貴重な話を沢山聞けました。
終了後、なんと炊き出しのお弁当を全員頂き帰路へ… 行き当たりばったりながらも精力的に動けたといえる1日でした。

町をみる限り南三陸町は復興へと着実に進んでいるように見えます。重機も入りガレキの山をかき分けるように道が増え、土地も整備されはじめていました。しかしライフラインの復旧はまだまだです。志津川高校には電気こそひかれているものの水道はまだ2割…それでも先週の倍ですが…塩分が多くて飲むに耐えない状況は相変わらず…毎日届く30数パレットの水を前出の二人が自衛隊の車両をかりて他の地域に配送しているとのことです。義援金から各世帯10万、県から30数万が配られたとのことですが、国から出るはずの見舞金100万や法律上は毎日一人あたり1050円出ているはずの食費も現在まで未払い…。
志津川高校でお弁当を頂いたり、気仙沼の避難所でも子供から袋ごと飴をもらったり…といった場面は避難所の変化を象徴している出来事でした。物資は足りているが人手が足りない。夏にむけての暑さ対策。仮設住宅の問題。志津川高校の近くに9月に次の仮設住宅が完成する予定で、避難所もそれを目処に解体してゆくそうです。となると、今後の支援のあり方も問われてくるでしょう。

2011年6月3日金曜日

5月会計報告


今月は先月に引き続き、漫画家の山本夜羽音氏が主宰するおたぱっくQB(救援便)http://blog.livedoor.jp/otapackqb/ と連携し、その物資を仕分けサポート、配給したので、配給物資の購入自体はさほど多くはなかった。新たな試みとして、ものつくりワークショップや、ジュースなどのお振る舞いを物資配給と同時に行ったので、その関連支出が主たるものとなりました。
収入については、先月に引き続き、原発やめろデモにおいて多くのカンパをいただきました。
また、運営資金にとの名目でいただいたカンパも総額で100,000円程に登っております。
これらの状況から判断させていただき、今後の活動に必須な高レベル計測可能な放射線量計を導入させていただきました。
また、我々に絶大なカンパを寄せていただいているデモから、不当逮捕されてしまった仲間の救援資金も捻出させていただきました。その詳細については以下をご覧ください
http://57q.tumblr.com/

以上、なにとぞご理解の程、よろしくお願いいたします。

5月の収支内容の報告です

収入(5/1~26のカンパ)198,754円

以下、カンパ協力・物資提供の協力をしてくださった皆さんです。ありがとうございます。
イベントや集会でカンパくださった多くの方にも、重ねて御礼申し上げます。
※口座入金の方は字数制限で名称が削れてしまってます。申し訳ございません。

オクヤマタカヒロ,BarnigSpirits,松本エリコ,JABARAジロー,ATFヨウイチ,ゲロクソ,花井,5/20Detrytus Sub-StanceVol.3ライブカンパ,4/30 UNKIND企画”PARANOID” @早稲田zone-B,5/1 ”YOKOHAMA INTERNATIONAL HARDCORE FESTIVAL” @横濱中華街 FAD,5/8 UNDER THE SARFACE RECORDS PRESENTS”狼 RING WESTERN JAPAN TOUR 2011” @東京・新大久保EARTHDOM ,CxB,グループオーム,東北沢つどいの家,ventra,Drカラヘンジ,ヒロト,加治,OFFICE VOIDS,アケ,アリサ,チャクラ,5/7原発やめろ渋谷デモカンパ,大勢の伊達直人(敬称略)

支出438,053円 (5月期-239,299円) 累計収支+897,486円
以下、支出内訳です。
5/10コーノ クレープ炊き出し材料531円、5/10丸正中野鍋横 クレープ炊き出し材料1,932円、5/10SEIYU阿佐ヶ谷 クレープ炊き出し材料386円、5/10SEIYU阿佐ヶ谷 クレープ炊き出し材料2,768円、5/15MEGAドンキホーテいわき店 ジュース炊き出し材料7,064円、5/28ブックオフ新中野 本1,550円、5/28Simachu中野 清潔用品6,214円、5/28Simachu中野 避暑物資22,050円、5/26おくむら 冷風機6,500円、5/26おくむら 整理箱2,500円、5/28ミルクロール中野 炊き出し材料1,870円、5/29ローソン東松島市ジュース炊き出し材料811円、5/28ファミリーマート高円寺北口炊き出し材料2,058円、5/1燃料代5,100円、5/1燃料代3,250円、5/2燃料代5,611円、5/2燃料代5,000円、5/3燃料代5,605円、4/8リパーク800円、5/3リパーク700円、4/7ユア・パーキング100円、5/15パークハイアット谷原(駐車代)4,100円、5/25宅急便640円、4/9高速代1,800円、5/21ニッポンレンタカー中野北口9,345円、5/21燃料代3,138円、5/15燃料代7,729円、5/21燃料代6,670円、5/21燃料代4,427円、5/21燃料代5,864円、5/22燃料代5,197円、5/22燃料代6,774円、5/22燃料代6,768円、5/28ナビパーク400円、5/26セルスタ 電池380円、5/26セルスタ 電池200円、5/29燃料代6,337円、5/10キャンドウ KIDSDIY文具525円、5/10キャンドウ KIDSDIY文具105円、5/10キャンドウ KIDSDIY文具105円、5/10光成産業 KIDSDIY文具210円、5/26あきばお〜充電池5,139円、5/26三月兎 放射線量計79,800円、5/26 5/7デモ逮捕者救援カンパ200,000円

※n.a.m.所有の車両については部隊行動前に、燃料満タン状態で受け取り、行動終了後に燃料満タン返しで受け取るという形をとっています。

南相馬市長から御礼状をいただきました。もちろんこれは我々だけではなく、様々な援助を寄せてくださった全ての皆さんに等しく送られたものです。よってここに公開させていただきます。

6月以降は自立援助の支援と、原発被害者救援に方向性を絞ろうと考えています。

引き続きカンパの協力をなにとぞお願いいたします。

カンパの振込先:
城南信用金庫 高円寺支店 普通 327580 ヒューマンリカバリ-プロジエクト

2011年5月20日金曜日

WANT YOUR VOICE !!!

松本です。
今回、たくさんの人々の声を集めてZINEにしようと思い立ち募集をすることにしました。
一言でも長文でも、匿名でも絵や詩でも構いません。あなたの声をそのままZINEにして
被災地や都内、各地で配布します。文章ではなくて話したい方という方もインタビューという
形でテープレコーダーに記録させていただきます。少しでも興味ある方は下記のアドレスへお問い
合わせください。既に用意されたVOICEについては直接メールで送っていただくか、下記の
住所へ送っていただくか可能であれば取りに行かせてもらいます。声が集まり次第、随時
発行していく予定です。

※現在、被災地へ行き現地の人の声も集める活動もしています。

Mail:pilvetpampi@yahoo.co.jp
〒160-0032 東京都中野区鷺宮4-34-1 n.a.m

3月11日の震災から約二ヶ月、時間の経過と共に被災地の状況、私たち含め人々の心境も
徐々に変化してきていると思います。今月に入り南三陸町、いわき市へと足を運び現地の
人々の様子を見てまず感じたのは、とにかく話をしたがっているということ。とくに実際に
原発や津波の被害に遭い、避難を余儀なくされている方々からはそういった強い感情が伝わ
ってきました。私たちが東京から来たと知ると、絶え間なく今の心境や実際の体験などを次
々と話してくれました。15日、福島県いわき市で行われた反原発デモでは今も避難所生活
をしているという方も見受けられました。

デモ出発前に公園広場出会った介助の仕事をしているという方から聞いたのは
「何でもなかった人が震災を機に認知症になり歩けなくなった。皆たくさんストレスを抱えて
いる。今大事な事は皆で集まて声を出し話し合うこと。」という事でした。
そして「(いわきナンバーで拒否されたという経験から)今東京の方々にお願いしたいのはいわ
きの人を温かく迎えてほしい。そして日本全国から集まって来てくれるのは本当に嬉しい。」
ということでした。

まだ避難所で生活をしている水道局で働いていたという方は、「避難しているばかりではダメだ
と思って、自分にも何かできないかという気持ちでデモに参加した。テレビではそこまで細かく
報道していないけど、自分の周りは家族が崩壊してきている。一番近しい知人の奥さんと孫二人
が津波で消えてった。百姓さんの井戸の水を飲んでいるけど飲む時はいつも不安。筍も栽培して
たけど食べられない。原発さえなければという気持ちがずっとあるし、昔から地震がある度原発
のことを心配してきた。」
とデモ中もずっと私に伝えてきました。

そして某大手スーパーに差し掛かった時に話してくれた、「ここは地震の後、即物が無くなって
運送業者もは運ぶのを嫌がって一番必要な時に機能していなかった。でも地元の小さなスーパー
はずっとやり続けてたよ。やっぱりこんな時一番強いのは個人個人の気持ちなんだよ。」という
言葉が印象的で、私たちも支援活動をする中で常に感じていた事でした。

広場に来ていた地元の高校生もいて、ノートに想いを書いてくれました。中には「差別しないで
ください」という言葉もありました。

震災後時間の経過と共に差が出てくる個々の意識。そこで今後、必要になってくるのは被災地と
日本全国の人々の密接したネットワークだと思います。分け隔てなく、表現をし合う場。私たち
は今までも音楽を通して、D.I.Yやそういった要素を重要視してきたと思います。そこで今自分
にできることは何かと考えた時にZINEとして、人々を結ぶ足掛かりを作るという事であり、それ
は今私たちの意識を再確認する目的でもあります。

そしてこれは私の個人的な見方なのですが。それぞれの現実と向かい合い、思考を止めずに表現し
続けること。少なくとも私がPUNKというものに惹かれたのはその要素があったからで、苦難を伴う
分だけ人々の心を掴んできた、立ち向かっている人々の言葉は人の人生を変える力がある。と信じ
ています。だからこうして私たちは現在受け継がれてきた音楽を知ることができるのではないでし
ょうか。そして今この日本の現状の上に、そのメンタルなしに勢力を保つことは難しいと思います
。行動を起こさなければ、賛否両論も生まれません。誰かの脳みそを動かす事もない。まずは言葉
に出し意思表示する事が必要なのではないでしょうか。

2011年5月14日土曜日

5.11 HRP第一次声明

未曾有の惨禍をもたらしたあの震災から2ヶ月が経過した。

我々はこの間、5度の遠征部隊を組織し、石巻、南三陸、仙台、南相馬、いわき、楢葉町等に向かい、現地の被害状況をリアルタイムで伝えると共に、被災した住民に対して食料、生活必需品、おもちゃや本等の娯楽物資を配給することによってささやかながらサポートをしてきた。

これまで現地に赴いた隊員のレポートや写真等の報告によって明らかな通り、既成のメディアで伝えられる以上に、どの地域に於いても被害は甚大たるものである。もはやかってこの場に何があったのかすら想像することが困難な、筆舌に尽くしがたい有様であった。膨大な廃棄物と化してしまった家屋の残骸に混じり、不釣り合いなコントラストを生み出している衣料品や鍋といった、生々しい生活の痕跡。そう、確かに、そこにはつい最近まで人々の営みがあり、命が存在していたのだ。しかしながら、360度、辺り一面どこをみても散乱するする瓦礫のみといった殺伐とした光景と、腐敗しかかった海産物と下水の混ざったような臭気漂う廃墟の中では、それらの「痕跡」は命の営みを証明するには説得力に乏しいと言わざるを得ない・・・。

我々は、難を逃れ、何とか避難生活を続けている被災住民のもとへ一刻も早く物資を届けんと、各地域において避難所を渡り歩いてきた。
まだ津波の跡も生々しい、散乱した瓦礫に囲まれた施設で、救いの手を待ち、幼子を抱え避難生活を続ける親子。
1階部分が完全に破壊されながらも、かろうじて残った自宅2階に戻り、復旧を信じ、水もない生活を続ける家族。
流されてしまった我が家を見下ろす高台にある、通学先の学校で避難生活を送る生徒児童。
居住地域から遠く離れた温泉宿の避難所で、日常に戻れるかどうかの不安を抱えたまま、観光宿で避難生活を強いられている家族。
福島第一原発20km周辺ながらも、電気が復旧したということで帰宅してしまった家族。

人々は甚大な被害を被りながらも、かつてあった当たり前の日常を取り戻さんと、困窮しながらも、皆したたかに何とかそれぞれの暮らしを保っていた。

我々が最初に現地を訪れたのは震災後10日程たってからであるが、その時点で既にどこの受け入れ行政機関も「物資については既に在庫があり間に合っている」との説明であった。ならば、より困窮している在宅避難者を独自に探して、支援したいとの我々の申し出に対して、行政機関の回答は想像を絶するものであった。
「そのようなことはしないでもらいたい」
その根拠は「平等の原則に反する」というものであった。
まさにそういった説明を受けているさなか、週二回の配給日を待てずに、配給場所である社会福祉協議会に車で乗り付けてきた被災住民がやってきた。
つい最近、遠く離れた避難所から自宅避難に切り替えたため、配給のノウハウを把握しておらず、今日の夜に食べるものすらないとのことだった。
乗り付けた軽トラックは車外はおろか、中まで泥だらけだ。「おとうさん、ずいぶんと波にやられて汚れちゃったね。」
私からの問いかけに、初老の被災男性は「これは作業用の車だよ。いつあれ(原発)がドカンとくるかわがんねから、逃げるときの為にいい車は残してあんだ」
ハンドルを握る手すら、乾いた泥にまみれていた。
その姿からこんな窮状下にあっても、若いもんに無用な心配はかけまいと、精一杯気を使ってくれているのが、容易に想像できた。
「平等の原則」とやらはこんな姿のものですら、門前払いとしてしまうのか!
施設の外で、我々はカップ麺1ダースを男性に手渡した。
「これで近所のもんにも分けてやることができる」
さっきまで気を使って強がっていた男性は、我々に手を合わせた後、住居へと走り去っていった。

その時点で我々の腹は決まった。
今後は一切、行政機関に頼らず、実際の被災住民のニーズに合った支援を独自に展開していくという方針を明確に打ち出すこととなった。

その後、我々はより困窮した地域へ乗り込む為、避難指定地域である、福島第一原発20km圏内へと進路をとった。細かく放射線量を計測しながら、南相馬市を南下し市内の中心部の一つである小高区の中心地域へと辿り着いた。
そこでの光景は、この先二度と見ることのない、いや決して見てはいけないものであった。
駅に隣接した典型的な地方の商店街である。平日の昼間であっても人の往来は決して少なくないであろう。津波は到達しておらず、町の姿そのものは原型をとどめたまま残っている。
しかしながら通常の町並みとは決定的に異なっていた異様な状況がそこにはあった。
人が誰一人としていないのである。いや生き物の存在すら街中では確認できなかった。中心部の交差点の信号すら点いておらず、幹線道路のセンターラインに立ち尽くしても、もちろん咎める者等誰もいない。
震災から2週間経っていたが、地震によって倒壊した一部家屋や門柱、塀などもそのままになっていた。
その異様な状況はSF映画等によって描かれる「廃墟」のシーンを遥かに凌駕していた。いや、身の毛もよだつようなこんな映像をかつて見た記憶がある。中性子爆弾による都市破壊の実験映像だ。
そんな映像体験等比べるに値すらしない、空虚のリアリティー。
街は完全に死滅していたのだ。原子力によって!

多くの惨禍をもたらした3.11東日本大震災。2ヶ月経った今なお、次々と新たな問題が明るみになってきている。津波や地震といった自然災害による被害はもとより、原子力発電所による災害は、震源から遠く離れた地域である、ここ東京や南関東圏にまでその被害を広げようとしている。
このような現状や、先に記した我々の被災地域現地での体験を踏まえ、明確になったことがある。
命すら軽んじる、既成のシステムに盲従した、融通の利かない縦割り行政の存在。
いざ事故が起こると、具体的な打開策が一切見出せず、被害状況に応じて逃げることしかできない、原子力発電所の存在。
今、我々が立ち向かっている問題は、決してこの大規模災害によって新たに発生したものではなく、かつてからこの国に存在していたものであるということだ!
我々は自らの生命を脅かす、これらの問題をこれまで克服しきれず、この震災によって、国の行方を左右しかねない大問題へと発展させてしまったのである。

かねてから懸念されてきた、これらの問題による人的被害。最早、我々の立場は、被害を「仮定」した反対運動を起こす存在ではないのである。実際に膨大な被害を被っている立場として、抗議し、一刻も早い解決へと道筋を開いていく行動こそが必要である。

以上の観点から、HRPは以下の2点を今後の行動指針とすることを表明する。


○1.既成の枠組みを突破した、実効性があり、なおかつ独創性に溢れた柔軟な支援行動をもって、硬直化した行政を突き動かそう!

震災直後は確かに現地自治体の行政機関自体も、被災当事者であり、そして国家機関についても想定を遥かに超えた大災害といった点において、初動対応については多少の不十分な点も仕方なく、我々も協力する中で乗り切っていこうといった心情であった。
だが、この期に及んでもなお、これまであった無駄や不十分な点を改めるどころか、認めようともしないその姿勢に従っているだけでは、この非常時を乗り切っていくことなど、到底できはしないのは明確である。我々は国や自治体のもとにある行政機関の「命よりもシステムありき」のこういった姿勢を徹底的に弾劾し、そのような偏狭な枠に囚われない、実効性があり、真に命の要求に応えられる支援を断固として展開していく。
しかしながら、闇雲に行政機関を敵視しこれと対峙するのではなく、情報交換等はむしろ積極的に行い、まずは行政枠にも支援提供を申し入れた後に、その枠で出来ることがあるのであれば、有効性を精査した上で協力するといった柔軟な部分も残しておかなければならない。
ただ、これまでの経緯を踏まえると、被災住民の於かれている立場からの現実的なニーズと、行政側の策定した救援指針は全くかみ合っていないのが常であった。我々はこのような「穴」を埋める、行政の補完部隊として行動するのではなく、こういった無意味な束縛を突破しゲリラ的に行動する中で、困窮者への実効的な支援の展開をもって、当事者の具体的な声を様々な手段によって広範に拡散し、硬直した行政機関を少しでも動かせるような気運を作ることを目的としたい。
今後の支援の具体的な内容として「与える支援」から「作り出す道筋をつける支援」へと徐々にシフトしていかなければならないと考える。復旧・復興へと具体的に踏み出すのには何が必要であるのか?これだけ広範囲にわたる地域を巻き込んだ災害であるが故に、これは被災当事者だけでなく、全ての大衆が共に取り組んでいかなければならない課題ではないだろうか。
我々は、DIYバンドのメンバーを中心とした支援部隊であるという立場性から、この点について、これまでの根拠のない盲従的な消費第一の社会形態から脱した、主体的にもの作りをしていく中で、生産者も消費者も共に生産物の価値を共有できるような、かつてどの農村漁村にもあったような社会的価値観の復権を提案したい。
 女性隊員を中心とした部隊KidsZineは子供達に主体的なもの作りの機会を与える中で、被災地と被災圏外の子供達を結びつけるといった非常に意義ある行動であり、今後の被災者自らが作り出す復興のシンボル的な礎となるべく、いい形で拡散していけるよう取り組んでいきたい。HRP本体の行動についても、自ら動き出した被災者のニーズを汲んだ物的、人的サポートに取り組む中で、行政機関に対する実効的な対応についてもサポートしていきたい。ただ、いずれの行動についても、決して独善的になることはなく、これまでの被災当事者の生活形態を踏まえた上での支援であることを常に心がけていくべきである。

○2.真の被災者支援の為にも、全ての原子力発電所は即時全廃せよ!

これまでいくつかの被災地域に赴き感じたことがある。それは宮城県の被災者と福島県の被災者の心情が大きく異なるという事である。家屋の消失等、地震や津波による被害状況は宮城県地域の方が深刻ではあるが、被災した人々の表情は福島の被災住民の方が概ね深刻である。
家屋の破損は一切無いにも関わらず、先が全く見えないまま延々と続く避難生活。いつまでこの状態が続くのかどころか、自宅に戻れるかどうかすらもわからない。福島沿岸地域の原発被災住民の抱える苦悩は、これまでどの国民も味わった事が無い、絶望に近い混沌としたものではないだろうか。こういった原発被災住民の支援については、最早我々民間部隊では対処しきれないのが現状である。帰宅に向けての取り組みをする訳にもいかない、かといって先の見えない避難生活を延々とさせる訳にもいかない。国は一刻も早く被災住民に対し、これからに向けた具体的道筋を指し示すべきである。破壊した福島第一原子力発電所は、早期収拾どころか、この先どうなるかすらわからない状態であるのは、最早誰の目にも明らかだ。現代の技術と科学力では解決の道筋をつける事すら出来ず、被災地域の今後についてもどうする事も出来ない現状を国ははっきりと認め、それを踏まえた上で早急に避難住民への補償や今後の生活対策を講じるべきである。
そして、いざ事故が起こってしまったら、逃げる事しか被害を免れるすべはないような、こんな恐ろしい技術を我々は直ちに放棄しなければならない!いくつもの街が廃墟となり、多くの動物が死に絶え、絶望の末に早くも自殺者まで出している。この先甚大な健康障害が大量発生するのも明白である。このような犠牲を払ってまで、我々は過剰な利便性を求め、経済の国際競争の中で一途に邁進し続けなければならないのだろうか?断じて否であると我々は断言する。
我々は選択権のない有償電力消費者として、事業者である全ての電力会社と、無謀なエネルギー政策を推し進めてきた政府に以下の通り断固として要求する。

・全ての原子力発電所の運転を直ちに止め、使用済み燃料の安全な処理に、迅速に着手せよ。
・これまでの無尽蔵な消費社会のあり方を国民全体で議論し、自然や人とのつながりを再び見直すなど、これまでの生活環境の矛盾を突破する新たな価値観を政府が主導し創出せよ。
・将来的な化石燃料の全面廃棄に向けて、これまでの原子力研究機関を新たなエネルギー研究機関へと早急に転化せよ。
・今後発生する健康被害について、通常環境下の統計と比較し、少しでも放射能との因果関係が認められれば、全面的に補償せよ。

ここまで、はっきりとした方針を打ち出さない限り、明日をも知れぬ避難生活を延々と続ける、原発被災住民に対し、今後の生活の道筋など指し示せないのではないだろうかと我々は考える。

我々はこのような主張を掲げる立場から、原子力発電所の廃絶に向けて、暫時停止等様々な立場の方々と議論し、時には行動を共にする中で、二度とこのような事態を起こす事のないよう、働きかけていきたい。ただし、原発の是非そのものを議論するような不毛なテーブルには一切関わらない。それこそ机上の空論である。再度確認するが、我々の置かれている立場は、起こりうる被害予想を前提としたものなどでは最早ないのである。起こしてしまった最悪の事態をどう乗り越えるかに立ち向かっているのであって、その元凶たる設備体系の維持を前提とする等、滅んでしまった街を目撃してしまった我々にとっては、到底受け入れられない。

上記2点の主要な方針をもって、これからもより困窮した被災地域に赴き、被災住民の於かれている実情に合った支援を展開していく所存である。また、そのような現地体験を踏まえ、一刻も早い原子力発電所の廃絶へと声を上げ続けていきたい。

これまでの我々の支援活動は、多くの皆様によるカンパ等の援助があってこそのものです。改めてお礼を申し上げます。これからも粘り強い継続的な活動が必要とされます。今後とも多くの皆様のご支援、ご協力をお願いいたします。

            2011.5.11 HUMAN RECOVERY PROJECT 穴水正彦

2011年5月13日金曜日

kids d.i.y. プロジェクト 4.29東京+5.2南三陸ワークショップ

「ものづくり」を通して、わたしたちの地元東京と被災地各地のこども達(&わかもの達&おとな達)が繋がれるネットワーク作りを目的に発足した「kids d.i.y.」プロジェクト。

わたしたちの支援の現場のひとつは地元東京でもあります。東京第1回目のワークショップは、4/29に東京・新宿のIrregular Rhythm Asylumにて開催され、本プロジェクトの支援に賛同いただいた5家族のこども6人と一緒に、被災地に届ける作品づくりに楽しくに励みました。最初は恥ずかしがっていたこどもたちも、スイッチが入った途端に創造性を発揮しました。




こどもの絵やメッセージと共に、親御さんのメッセージも載せた1冊のzineができあがりました。










東京ワークショップで出来上がったzineを持って、5/2に宮城県南三陸市志津川小学校の避難所にてワークショップを開催しました。
学校もそろそろ始まり、避難所の統廃合もあって、こどもの人数はそれほどではありませんでしたが、ひとたび声をかけると「うさぎを作りたい!」などと、数人のこどもが元気良く駆け寄ってきては絵を書いたりチョキチョキと切り絵を切り始めました。とにかく遊びたいというこどもの欲求がひしひしと伝わってきました。




途中で神戸からのピアニカ集団と合流して、癒しの生演奏の横で和やかに遊びはお昼ごはん時まで続きました。




このバナーも、こども達と一緒に作りました。

そして、こども達の作品を集めた志津川版の1冊のzineが完成しました。


南三陸市はわたしたちが訪れた5月初頭でも戦場のような壮絶な光景が広がっていました。それでも、こども達は流されてきたベッドをトランポリン代わりにしてピョンピョンと跳ね飛び、元気に遊んでいました。なんでも遊び道具にしてしまうこども達の創造性とたくましさを見た気がしました。

4/29東京ワークショップ、そして5/2南三陸市志津川小学校ワークショップにご理解、ご協力いただいたみなさまに、この場を借りて厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました!また元気にお会いしましょう。

2011年5月10日火曜日

宮城県南三陸町5/1.2時点での様子について

南坂です。
5月1、2日にHRPとして南三陸町で活動した事についての簡単に纏めさせて頂きます。

今回の大まかな活動概要を最初に報告させて頂くとまず一つは前回同様に漫画家の山本夜羽音氏(ツイッターアカウント@johanne_DOXA)が中心として行っているおたぱっくという支援活動と連動し、集まったおもちゃ、様々な種類の本の提供。
そしてもう一つの活動として今回初めての試みとなる現地の子供達と共にkidszineを作るという活動です。
また今回も時間の経過に沿って報告させて頂こうと思います。

個人的に今回は行く道中にも復興を感じさせる部分があったのでそちらも簡単に記載させて頂きます。
まず我々は4月30日の深夜に中野区鷺宮から車3台にて出発致しました。
まず最初に仙台でメンバーが一人合流する為、仙台で高速を降りました。
ここでの行動としてまずの朝食及び昼食の確保を致しました。
そして仙台での合流が無事過ぎ、南三陸町へと向かう道中、石巻市にて給油を致しました。
この何気ない行動に関して何故わざわざ記載したのか。
それは震災十日後に我々が訪れた時点では考えられない事だったからです。
震災十日後の仙台市に関して空いているコンビニは見かける程度にしかなく探すのも一苦労の状況、石巻市においてはライフラインは全く無くお店どころか街の明かりも無い状態でした。
私事にはなりますが、時間も約二ヶ月経ち、復興してきている事を実感し、凄く嬉しくなりました。

そして今回の活動の拠点として当初の目的地にしていた南三陸町に到着し、今回被災地を始めて訪れるメンバーがいた事もあり、まずは少し車を止め街の様子を見ました。
被災地の様子に関しては以前からお伝えしてる通りメディアから察する何倍も深刻な状態です。
そして街の復興に際し、動き出している象徴と捉える事も出来るのだろうが私は海沿いの街にも関わらず、磯の香りでは無く色々な物を焼却してる匂いだけがした事に少し切なさを感じました。

そしてここからが活動としての本題なのですが、まず我々は南三陸町のボランティアの拠点となるベイサイドアリーナにて情報収集、物資の提供を行いました。
ボランティアセンターにて避難所の状況を聞き、今回向かう避難所に向けての情報収集。
そして前回来た時にこういった事をしていたのか定かでは無いが、ボランティアセンターが炊き出し情報含め「どこの避難所でいつ、こういう催しがある」と言ったイベントの取り纏めを行っていた。
ただ近々の予定では組み入れてもらう事は難しく、事前にお話をしておく必要がある為今回も我々は各避難所でゲリラ的に活動した。
実際にこのベイサイドアリーナでも物資の提供をゲリラ的に行った。
目に入る子供達全員に「本あげるよ!」と呼びかけ、車の傍でダンボールを広げ欲しい物だけ持って行って下さいというフリーバザースタイルでの提供です。
前回南三陸町に入った時から2週間振りに訪れたのですが、この時点で上手く言葉に出来ない変化を感じました。
ダンボールを広げるのに辺り、場所を確保する為に街の方が率先し自衛隊の方と交渉し、傍に軽トラックを止め、ダンボールを見やすい位置に広げる…以前は全てを僕らがやっていたのですが、今回は何を言うでも無く、避難者の方が自ら動いてくれました。
私は子供達の呼びかけで車から離れていた為あまりお話を出来なかったのですが、「(行政等が)自分達が欲しい物資を受け入れてくれない、だからこうやってあなた達みたいな人が来たら自分達で動いてるのよ!」との声を現地の方から聞いたとの報告も受けました。

そして少し話はそれますがここで共に南三陸市に入った愛知の家族がいたのですが、ベイサイドアリーナでボランティア登録をして活動をする事に決まったのでお別れした。
この家族は5月7日時点で伺ったお話ですが、GWを過ぎ格段に人の数が減っているとの事でした。
それと地元の人の声として、ボランティアの人も色々頑張ってくれてるのに私個人の小さなお願いを頼むのも申し訳無いと言っていたりしたとの事です。

そして私達は入谷小学校に向かいました。
校庭ではこの日からサッカークラブの練習が再開されたらしく、父兄の方が沢山いました。
この方達に避難所の受付はどこか尋ねると「ここだよ!」との返答、この時点で私は冗談で言っていると思い、避難所になっている体育館の中へ行ってみました。
ここの避難所を統括していらっしゃる方はその時は用事でいない模様、お話を聞くとここの避難所は行政等の組織を通さずに自分達で物資の受け入れ等をやっている模様でした。
先程校庭で話した父兄の方々の発言はあながち冗談では無かったようで校庭に戻りその方達に声を掛け、車の傍で段ボールを広げバザー形式で物資の提供しました。
ここで二人の方が声を掛けてきました。
一人は小学生の女の子、「私は元々この学校に通っていたけど遠くの施設に避難している。今日は寂しくなってここに遊びにきた。私が避難している所には同じ様に避難している子供が沢山いるからこの物資を是非持っていって欲しい。」と要約するとこうい
った内容でした。
もう一人声を掛けてきた女性は「私達の所にもある程度まとめて持ってきて欲しい、そうしたら私達がその周辺の避難所に配ったりするから」といった内容。
今まで避難所に行き、僕らから声を掛け避難所を紹介してもらう事はあったが今回のように避難者の方から要望を受けたのは珍しいケースでした。

そして次に向かったのが先程の小学校で女の子から要望があった宮城県大崎市にある仙庄館という旅館。
南三陸町からは約90km離れた所。
私達が着いた時はちょうど夕食の時間だったのだが、そこの避難所を統括してらっしゃる方がマイクを用いて呼び掛けをしてくれたり、父兄の方々が物資の積み降ろしを率先して手伝って頂けたりと非常に協力的でした。
こちらの旅館も避難者の方自身で役割を決め、避難所として運営している状況でした。
こちらの方で聞いたお話だと「行政は行政でやってもらわなければいけない事が山ほどある。避難者が行政に頼ってしまう事でそれが遅れてしまうと思う。出来る事は自分達でやる。それが早期復興に繋がると思う。」との事でした。
こちらの避難所では実際にこう語った方が仮説住宅の入居の話等を行政との間に入り、避難所を取り纏めている状況の様です。
そしてこちらの施設では私達の必要な物だけ提供し、余った物は持ち帰るといった物資提供のスタイルが気に入って頂けた事もあり、この日はここの施設で避難されてる方、旅館の皆様のご好意によりこちらで宿泊させて頂きました。
本当にその節はありがとうございました 。

そして翌日、子供達が登校するのを見送らせて頂き、大崎市仙庄館を後にし私達は南三陸町へと戻りました。
この日は朝10時からキッズジン部隊が志津川小学校にてアポを取っていたので志津川小学校へ向かいます。
そしてここで一時キッズジン部隊と物資提供部隊に別れ、行動しました。
私は物資提供部隊だった為、キッズジンに関しての報告はこの文面とは別でさせて頂きます。
物資提供部隊は歌津中学校にて活動しました。
この中学校でもやはり今までと同様物資としての受け入れはして頂けませんでしたが、入り口のロビーを貸して頂きバザー形式で提供しました。
ここではすぐ近くの歌津小学校で衣類のバザーを体育館を使用し、大規模に行っていましたので、そちらの入り口付近にいたボランティアの方に僕らのバザーの呼び掛けもして頂く様お願いしました。
そしてこちらでも地元の高校生が率先して最初から最後まで手伝ってくれて、助かりました。
ありがとうございます。
そしてこちらで対応して頂いていたボランティアの方が私達のバザーの反響ぶりを見て最終的に余ったら何箱か置いていってほしいと声を掛けられました。
個人的見解ですが、その方は私達の活動の様子を見て、本等の需要の多さを目の当たりにして驚いていた印象があります。

そしてこちらでの物資提供を終え、私達は志津川小学校に戻りキッズジン部隊と合流。
ここで「め組JAPAN」という団体がバスで志津川小学校に来ました。
石巻には以前から入っているボランティア団体でしたが、南三陸町で見かけたのは初めてでした。

そしてここから馬場中山生活センターor泊浜生活センターという避難所に行ったのですが、どちらだったか記憶が定かではありません…申し訳御座いません。
ここでも相変わらずと言った状況。
避難所としての受け入れはしてもらえず、バザー形式で提供するという状況でした。
ここでの物資提供を終え、先ほど行った歌津中学校に戻り、何箱かの物資を提供しました。
そして前日入谷小学校で物資を持ってきて欲しいと声を掛けて頂いた登米市登米公民館に向かいました。
この公民館で対応して頂いた行政の方は一日前からこの避難所に来ているとの事で状況をあまりわかっていない様子で物資の受け入れもどこかに確認をしたりとタジタジでした。
そんな状況の所に昨日私達に物資を持って来てと言って頂いた女性が現れました。
行政の方に「なんで受け入れ出来ないの?スペースはあるでしょ。あんたらが何も出来ないなら余っても私達が他の避難所に配るから受け入れるからね。」と言った様子でした。
そしてここでの物資の提供を終え、今回の活動は終了し、東京に戻りました。

非常に長くはなりましたが、大まかにまとめると行政の方等の公平な物資の提供といったスタイルに痺れを切らしたり様々な考えはありますが、ほとんどの避難所で避難者の方が自分達のより良い生活を確保する為に動いている、避難所を自分達で作り上げているという印象があります。
その為私達の車からダンボールを降ろし後は見ているだけでも大丈夫という状況でした。
数日前に訪れた時とは状況が変わっていて、私達自身も驚きました。
これも地域でのコミュニティーが強く、皆が力を合わせているからこそ出来る事であると思います。
これはメディアでは報じられない実態だと思います。
メディアで報じられる表面的な綺麗事で済まされない事は多々現地では起こっています。
この文章を読んで頂けた方には事実を見極めた上での行動をお願いしたいと思います。

文章にした為乱文で見辛い点も多々あるとは思いますが、取り急ぎ報告とさせていただきます。
もっと詳細を知りたい、わかりにくい部分があればこちらのコメント欄やツイッター(@na0kio416)等に連絡頂ければお話させて頂きますので宜しくお願い致します。

2011年5月1日日曜日

4月会計報告


今月は漫画家の山本夜羽音氏が主宰するおたぱっくQB(救援便)http://blog.livedoor.jp/otapackqb/ と連携し、その物資を仕分けサポート、配給することが主たる活動となった。朝日新聞に記事として扱われたことで、全国から予想を遙かに上回る規模の莫大な物資が「おたぱっく」に集まったため、今月は配給物資の購入は殆どしておらず、殆どは運営関係の出費となりました。
また、提供いただいた物資の中で、どうしても被災者から受け入れなれなかった書籍やビデオソフトなどは、勝手ながら売却処分させていただきました。換金した資金は、ニーズに合った物資購入に充てさせていただき、必ずや困窮した被災者の下へ届けることを強く約束いたします。

4月の収支内容の報告です。

収入(4/1~28のカンパ)1,339,729円

以下、カンパ協力・物資提供の協力をしてくださった皆さんです。ありがとうございます。
イベントや集会でカンパくださった多くの方にも、重ねて御礼申し上げます。
※口座入金の方は字数制限で名称が削れてしまってます。申し訳ございません。

ヨシナガナオミ,マツダ ユウコ,中家,大和田,佐藤千春,イナバケイスケ,ナガシマ コ,イイダカズミ,アサルト ケンタ,ヤマダユウジ,トヨダユメタロ,ノサカ ヨウコ,山本陽一郎,4/2西荻FLATライブカンパ,初台WALL カンパ箱,SCREW WITH IN,ハナイコウジ,フジタ マユミ,ヤナギサワ ユ,サトウヒロコ,ニシムラ ヒロキ,シミズ ノリコ,イチカワ シヨウコ,オオノ ヤスジ,ブックオフ買い取り,松本恵莉子,林哲夫,LIFE(ノリ),シブヤ リヨウ,コバヤシタカコ,ツジナミ リヨ,タカハシ ユキヒコ,ヤマグチ カノウ,ニシカワケンジ,earthdom,大柴よしこ,西宿野良犬彫師連,ナカイエ アツシ,ヨシダ トモフ,エイレン,ヨシイ ユミコ,ハシモト シユウ,園良太,鈴木,ミタチ アキノリ,ヨシダトモフミ,イワヤナギヨシコ,シスターシスター,アベシンイチ,4/10高円寺脱原発デモカンパ,ネモジュン,シノ,大勢の伊達直人(敬称略)

支出137,746円 (4月期+1,201,983円) 累計収支+1,136,785円
以下、支出内訳です。
3/27 ENEOS 軽油6,288円、3/25 EXPRESS 軽油6,800円、4/7ユア・パーキング300円、4/8 ユア・パーキング400円、4/8下井草倉庫契約金(オタパック)20,000円、4/9トヨタレンタカー荻窪(オタパック)22,807円、4/13カネヒロ井草店 ゴミ袋2,386円、4/15カネヒロ井草店 タンク、マット1,960円、4/15エイブルパーキング1,100円、4/18 燃料代6,298円、4/18高速代600円、4/18高速代8,600円、4/21ユアパーキング700円、4/3 OMATA ポリタンク4,300円、3/30カネヒロ 灯油ポンプ97円、4/8WonderGooいわき鹿島店 DSソフト5,160円、3/23 松屋東伏見 飲料水2,160円、3/23西友下井草店 食品5,437円、4/16燃料代4,402円、4/16燃料代6,547円、4/17リパーク300円、4/17リパーク1,400円、4/17リパーク300円、4/17リパーク1,400円、4/16燃料代6,699円、4/18燃料代3,886円、4/18エイブルパーキング1,400円、4/18コスモ石油 燃料代、借車洗車代11,949円、4/30 カネヒロ井草店 食料 容器2,800円
※n.a.m.所有の車両については部隊行動前に、燃料満タン状態で受け取り、行動終了後に燃料満タン返しで受け取るという形をとっています。

尚、n.a.m.と同業者である音響会社、株式会社舞夢サウンドプロジェクト(03-5983-1486)さんがトラックを一週間以上の長きに渡り、無償で提供してくださいました!多大な協力に感謝し、代表取締役の中村正次様を写真にて紹介させていただきます。従業員の田中大輔君にも大変お世話になりました。

5月以降は南相馬、いわき市北部といった原発被害に苦しむ地域に焦点を絞り、生活支援物資というより、復旧支援物資(調理設備、がれき撤去・泥ハケ用具など)を供給していきたいと考えております。
引き続きカンパの協力をなにとぞお願いいたします。

カンパの振込先:
城南信用金庫 高円寺支店 普通 327580 ヒューマンリカバリ-プロジエクト

*振込画面で、依頼人名前の入力の際に頭に「カンパ」と付けていただけると分かり易くて助かります。

2011年4月19日火曜日

緊急カンパ呼びかけ!

今日で警察署管轄の緊急通行車両確認標章の期限が切れてしまいま
した。以降は各自治体から発行される「災害派遣等従事車両証明
書」が必要となるらしいのですが、大手企業や大手NGO以外は
相手にしないといった態度で、嘆かわしいことですが、どこかの自
治体との癒着でも無い限り発行は難しい状況です。よって今後は移
動の度に、多額の高速道路料金が必要となります。今後とも継続的
な支援活動を展開していくために、より一層のカンパを切にお願い
いたします!

補足 仙台市について

午後1時くらいに仙台バードランドに到着し、一息ついたH.R.P.は仙台市内でも物資を配ろうと、メンバー1人をバードランドに残して車を走らせた。障がい者支援ボランティアのため、僕らと入れ違いで仙台入りしていた名古屋のHC PUNKバンドOUT OF TOUCHのリーダーこと中村君の紹介先である太白区長町のCILタスケットに到着しました。障がいを抱えて被災した人たちへの支援を行っているこの事業所で、玩具類を中心に物資を渡すことができました。決して長い滞在ではなかったけれど、これまで訪れた殆どの避難所での対応とは違い、事業所スタッフたちの対応はとても暖かいものでした。きっと僕自身が同じ仕事をしているからだけではなく、血の通った真剣な表情に見えました。さらにもう1カ所と車を走らせ向かった先は若林区のサンピア仙台でした。避難者数が多いとの情報もあり、沢山の子供たちに会えると期待していたのですが、ここの対応は大きな避難所特有の冷たい反応でした。物資の置き場もなく、児童向け書籍・玩具も余っていると受付スタッフに言われた僕達は、施設内を見てみようと2階の避難所へと入って行きました。そこには食料・衛生をはじめとする物資はある程度充実していましたが、今の子供達にしたら、こんなの読まねえよというような、古くさい児童向け書籍が少し置いてあるだけでした。これまでやってきたように子供達やお母さん達に直接話しかけようと試みましたが、この避難所は宿泊設備を兼ねた巨大スポーツ施設であったため、避難者の方は客室と利用されいた個室内で過ごしているとのことでした。これでは被災した人々と触れ合うことができません。やむなく、ここでの物資配給を断念することに決めました。行政側の言いなりに運営している避難所では、Human Recovery Projectのような支援グループはこういった壁にぶち当たります。ゲリラ的に行動するしか道はないのだなと感じた2日間だった。

宮城県石巻市、南三陸町について

南坂です。
4/16、17日に我々が宮城県石巻市、南三陸町にて活動してきた事について纏めさせて頂きます。
こちらもツイッターにて(@na0kio416、@ANAFUZZ,etc)リアルタイムに報告させて頂いており、重複している部分は御座います。
今回の支援としては漫画家の山本夜羽音氏(ツイッターアカウント@johanne_DOXA)が中心として行っているおたぱっくという支援活動と連動し、集まった物資をこちらで現地にお届けしてきました。

文章が石巻市に行ったり南三陸に行ったりしますが、時間の経過で文章を進めて行こうと思います。

まず最初に我々はNGO団体ピースボートとの情報交換等を以前から行っている為に石巻市専修大学に向かいました。
石巻市にある湊小学校等の避難所になっている場所に子供向けの図書館となる様な施設を作ろうという話をピースボート経由でさせて頂いていたのですが、当日行ってみると本当に現地の状況はリアルタイムで変化してて問題が生じます。
宮城県では教育委員会により今月末、早ければ21日頃から学校を再開させようとしている為にスペースが無くなってしまう可能性があるとの事です。
しかしこの話を詳しく聞いていくとまた行政のひどい仕打ちがある事がわかりました。
学校が再開する事により各学校の教室で避難していた人は体育館に避難せざる状況へ追い込まれます。
しかし現在そういった場所で避難していた人を含め、今回動こうとしている復興を理由とする避難所の統廃合によって避難所から溢れてしまう人は約2000人いるとの事です。
行政側の裏事情としては再開を決定したが、実は避難所から溢れる人の事を考えていなかったのです。
石巻全体に言える事なのですが、僕らが3月22日から数日石巻を見た時点を考えると凄まじいスピードで復興していたのですが、お話を聞いていてその背景が見えてきました。
これはあくまでも推測であり行政の発表ではありませんが、石巻市は今後今回の被災による復興のモデルとされるのでしょう…実際にメディアでも多く取り上げられているのは石巻市が多い印象がありましたが今回行ったことにより理由がわかった気がします。
海外のメディアで高速道路の復旧の早さが取り上げられたと言った話があったりしますが、そういった面での海外に向けての情報の発信目的等があるのではと思います。
確かに学校が再開されたりする事は喜ばしい事だが、果たして犠牲者を数多く生んだ上での教育に本当に意味があるのか…今こういう時だからこそそれ以上に必要で学ばせるべき事があるのではと個人的には思いました。
復興が早い事は喜ぶべきことであり、望むことではあるが必要以上の困窮者を生んでの復興に対しては疑問を抱きます。
石巻市では今後こういった問題が多く出てくるのではと予想されます。
そういった事もあり自衛隊の数、ボランティアの数が明らかに他の地域より多い事もあり復興は非常に早い印象です。
ただそれでもまだ被害の大きい地域は瓦礫も散乱し、船や車がありえない場所にあったりします。
石巻に関してはこの日はお話を聞くだけになり、昼頃には南三陸町に向け出発しました。

おそらく今回の地震による影響と思われますが、道路の通行止めもあり色々と迂回しながら次は南三陸町に行きました。
正直に言うと南三陸町に近づき言葉を失いました…ニュースでここから見える映像を見た事あるなぁと思いながら元々中心地となっていた地点に近づいて行きましたが本当に津波の威力を感じました。
今まで何箇所か被災地を見ましたが、今まで見た中で一番津波の恐ろしさを感じたのは南三陸町でした。
高台にある建物を除き、形が残っている建物は鉄筋コンクリートで作られた団地等が本当にポツンと数件あるだけです。
その残っている建物の屋上には4階建てにも関わらず、車、更には家が乗っていたりしました。
田んぼには無数の車が散らばっていたりもしました。
そういった光景を実際に見て、一緒に行ったメンバーの中には吐き気を催し涙を流したメンバーもいました。
そういう場所を抜けながら志津川小、中、高校+ベイサイドマリーナにて一家族にお渡ししました。
どこの避難所も状況は同じであったが避難所として物資の受け入れは今はしていませんとの事でした。
そしてこれもどこの避難所に関しても同じで避難している子供に「おもちゃ欲しい?」って声を掛けたら驚く程の勢いで子供が集まってきました。
そして後には子供に限らず避難をしている大人達も集まってきました。
避難所としてもその光景を目の当たりにして我々の行動に関して黙認しているという状況でした。
中には津波で家を流され、持っていた漫画を無くしてしまったがそれを取り戻せたといった子もいました。
行政としては目に見える数で全ての判断をしていて、細かい配慮まで行き届いていないという印象をここで受けました。
皆が約一ヶ月前までは多少の違いはあれど同じ水準で生活をしていた人達なのです。
同じ本を何度も何度も読み、遊びつくしたゲームで満足しているかどうかが実証出来たと思います。
行政としてこういった物資の受け入れをしてくれないのはわかったが、反対に必要としている人が無数にいる事も今回改めてわかった。
この事に関しては写真も数多く残してあるので後日アップします。
細かい事を言うと小学生以下の子供に関してはトミカや仮面ライダーや○○戦隊○○ジャーというような物を欲しがるが、小学生以上になると大半がゲーム機を欲しがる。
贅沢と判断する方もいるかもしれないが、現代という時代を考えてもらう事も重要かと個人的には思います。
下記も同様の内容だがツイッター(@ANAFUZZ)より抜粋。
「子供も大人も娯楽に飢えていた。いい大人が子供に混じって、自分達も読めるような本や玩具を漁っていた。ボラセンなど行政側は全く分かっちゃいない。何度も言うが、彼らはつい1ヶ月前まで、俺等と同じ生活をしていたんだぜ。どこの避難所でも、本や玩具は十分と門前払い。実態は一月前に配られた本を何度も読み返さなきゃならない状態。子供のおもちゃも大人の価値観で決められた適当な物。あいつらがほしいものはPSPやDSなんだよ!平等の原則だか何だか知らないが、我慢させるなんて馬鹿げてる。」
ちなみに人生ゲームはどこに行っても欲しいという人がいました。
あとトランプは数多くあったが、麻雀を欲しいという人が多かった気がします。
荷物を提供してくれる方の善意を無駄にしない為にも集荷する側は自分の責任を持てる的確な集荷でなければいけないと再認識しました。
残念だが、漠然とした想像で動こうとすると生まれるのは現地の満足より自己満足で終わってしまうとわかりました…。
善意ある有り難い物資とは言え、世代の古い物とかだと子供達も用途が無く結果的に廃棄という結果になってしまう可能性もあるので可能な限り現地の状況を情報収集をして動く事が必要です。

暗くなってきた事もあり、この日の就寝場所とした石巻市に戻りました。
食事等も済ませ寝ようとしましたが、やはり東北はこの時期でもまだ夜中は寒いです…昼間は暖かく半袖でも良いくらいですが、夜は相当冷え込みました。

そして二日目は石巻市で二箇所動きました。
渡波保育所、鹿妻小学校という所です。
状況はいづれも同じで避難所としての物資の受け入れというより子供達に声を掛けると実際は欲しがるといった形でした。
一つ非常に心外であり虚しい事があったのでそれも記載しておきます。
我々がこういった活動をしている中で、その施設の指導者の方が我々に「子供達にこういう理由で集められた物資であり、こういった事で届けられた物だから感謝するように教えてあげてください」との事だった。
その場では軽く流したが、後に一緒に動いていた皆と話したが我々の感じた事は皆同じでした。
感謝される為に物資を持って行ってるんじゃありませんので…これは物資を提供して頂けている方も同じで感謝や見返りを求めているのでは無いだろうと思う。
更に言うのであれば本当に小さい子供も含め自発的にありがとうと言ってきていた。
いっぱいいっぱいなのは理解出来るが、こちらの意図しないそんなくだらない指導を我々に押し付けられてもなぁという感じです。

石巻市での活動を切り上げ、我々は同行していたメンバーのバンドが仙台のバードランドという場所でライブがある為に仙台に移動しました。
仙台市中心部では津波の被害は無く地震による被害ばかりである為、お店も再開している所が多かったです。
ライブ前に地元の人とも色々お話をしましたが、復興に向けて前向きに考えている事が多く感じられました。
そしてバードランドの方も数々の被災地の支援に向け動いている事を聞き、我々も出来る限り連動して動ければと感じております。

最終的な纏めとしましては協力的な避難所もありましたが、行政から指定されているような大きな避難所になればなる程物資としては受け入れてくれないといった状況でした。
しかし、実際には必要としている方は数多くいるというのが実情。
今後もこうした支援活動する意味は十分にある事を実感しました。
そして街毎の状況が違う事を再認識しました。
宮城県石巻市では復興のスピードは速いがその背景に見える困窮状況があり、同県南三陸町では石巻市に比べ復興スピードが遅い理由として行政の力の入れ方が違う事で人手が足りなかったり、福島県では原発による風評被害があったり…把握出来ていない部分でも数多く地域毎に問題は多種多様あると思われます。
こういった情報もこれから色々ネットワークを広げ、行政等の手の届かないが実は必要とされる支援を行えればと思います。
同サイトのコメント欄やツイッターを含め交流の方法はあると思いますので、各被災地で必要とされる物資の状況等があれば教えて頂ければと思います。

以上また乱文であり説明不十分な部分もあると思いますが、質問や意見、活動参加や気になる事があれば同サイトのコメント部分やツイッター上にてお声掛け頂ければ、対応させて頂くつもりですので宜しくお願い致します。

福島県いわき市について

南坂です。
4月8日に福島県いわき市で活動した事について、基本的にはツイッター上にて@na0kio416というアカウントにて現地報告をリアルタイムをしていましたが、遅ればせながら纏めさせて頂きました。
いわき市での活動の大まかな概要としましては、現地の二箇所の幼稚園への物資支援、原発に近い距離での自宅避難者の支援、置き去りにされる事を余儀なくされた動物達の救出を、ガイガーカウンターを用いての放射線量を測定しながら行いました。

HUMAN RECOVERY PROJECTとして色々な被災地域に行きましたが、福島県は津波の被害は勿論あるのですが、それ以上に原発による被害が大きい事というのが印象です。

まず我々が向かったのはいわき市勿来のカトリック幼稚園、小名浜の愛宕幼稚園という二箇所の幼稚園です。
この幼稚園二箇所に関しては避難所になっている訳では無いので、子供用のおもちゃを主とする物資を持って行ったのですが、幼稚園自体は津波の被害を受けている訳では無いので、そこまで困窮しているという状況では無いというのが正直な個人的な感想でした。
しかし地震という面での恐怖を体感してる人は多く、子供達も地震が来ると泣き出す子もいたりするというお話を聞きました。
更には子供によっては家を無くしてしまっている子も少なからずいるとの事でした。
ここではそういった子にお預けしたおもちゃで遊んでもらえる事を願って物資をお渡ししました。

次に向かったのが、いわき市中央台南小学校という所です。
物資に関しては基本的な食料や飲み物に関しては足りているで、娯楽用品となる物を主にお渡ししました。
ここで一つ生じた問題があったのでその点に関して触れておくと、物資の中にニンテンドーDSというボータブルゲーム機がありました。
しかし、ゲーム機本体だけでゲームソフトがありませんでした。
付近で営業していたお店でカンパ金を遣わせて頂き、ソフトを購入しお渡ししましたが、ゲーム機だけでも非常に有難いとは思いますが、実際の所生殺し状態になってしまうという事で、そういった物資を支援頂く際には極力何かソフトも付けて頂けると喜ばれると思います。
この小学校で避難されている方というのは福島第二原発から20km圏内の楢葉町という地域の方なのですが、ここで聞いたお話が個人的には凄く印象的でした。
一見した感じ子供よりも老人の方が多くいらっしゃる印象を受けたのですが、お話を聞くと小さい子供がいるような方は県外や姉妹都市に避難しているとの事でした。
老人はなぜ同じように避難をしないのか…理由は出来る限り地元を離れたくないからです。
偏見である部分もあるかもしれませんが、生まれてからずっと楢葉町で育った方もいれば、人によっては定年後ののんびりとした生活を求めてその辺りに住んでいらっしゃった方もいるのかと思います。
中には家を無くした方もいるとは思いますが、そうでは無い方もここでは多数います。
家もあり、中には動物も家に置いてきてしまった方もいるでしょう。
そして避難所となっている場所も後には出て行かなければいけない状況になると思われます。
そうなれば帰る家があるにも関わらず、動く事でさえ一苦労というような老人が仮設住宅なりを探さなければいけない状況も生まれてくる事が予想されます。
この状況に関して個人的には原発に対してより一層怒りを覚えたという気持ちで、凄く心が動かされました。

そして次にいわき市の楽寿荘という介護施設に向かいました。
ここでは女性用の下着や生活用品を主にお渡ししましたが、やはりここでは大まかな物資に関しては足りているような状況のようでした。

物資に関してここで簡単に纏めさせて頂くとどこも避難所としては物資は足りているというような状況でした。
しかし、それは避難所という場所に集荷されている物資は十分にあるかもしれませんが、居住者である方達全てに行き届いてないという事が分かる出来事がありました。
最後にとある地点(詳しい場所名に関しては忘れてしまいました…すみません)で物資をお預けしようとした時に、その近隣で自宅避難されている方が我々に「水はありませんか?」と声を掛けてきたのです。
南相馬市でも同じような状況がありましたが、避難所としては物資はありますが、こういった自宅避難されているような方には物資は行き届いていないのです。
行政側としては必要な物資を平等に配給しなければいけないというような事を言っていましたが、その方の話を聞くと十分に水を必要としている方と判断出来るような状況でした。
我々は残っていた物資をお渡ししましたが、行政としては「公平の原則」とやらで、勝手に配給してはいけないとの事です。
これはいわき市に限らずほとんどの避難所に関して言える事ですが、水等の物資に関しては受け入れをしてもらえません。
しかしこういった方が出てくるのはどういう事なのか…単純に配る人手が足りないの一言で済ませる事では無いのではと個人的には思います。
行政側がそういった対応であるならば、我々のような活動をしている者でこういった方達を対象をした支援を行う必要があると再認識しました。

ペットに関してですが20km圏内を含め、自宅に人がいない所でも確認出来る地点ではほとんどの家でご飯等をあげている様子で少し安心しました。
家から離れようとしないペットも数多くいますが、中には放浪犬とでも言うべきか、ふらふらと歩き続けているようなペットも何匹か見かけました。
保護を求められているペットなのかどうかという点についてこちらとしても難しい部分が多いので、ご飯をあげるくらいに留まりますが、中には津波により家、飼い主を無くしてしまった動物もいるかもしれません。
避難所の生活者であり自宅にペットを置き去りにされる事を余儀なくされているが、一時的にご飯をあげたり、世話を定期的にしている方にはそういった家庭用の首輪や目印になる物の支給を行うなど行えばどうかと思います。
そうすればこちらとしてもそういった保護するべきペットもわかりやすく、こちらも動物の保護をするといった活動も出来るのでは思います。
最終的に残ったペットフードに関しては福島県いわき市のライブハウスソニックにて委託させて頂きました。
ありがとうございます。

放射線量に関してですが、基本的な経路としてはいわき市から原発方面に向け沿岸部を極力北上していく形で進みました。
やはり福島第二原発に近づくに連れて、放射線量は右肩上がりという状況でした。
福島第二原発から20km圏内に入る地点にはバリケード+場所によっては警察が立っていて進入を警告するような状態でした。
我々は20kmに入れるようなルートから進入し、動物や人がいないかを確認しながら進みました。
最終的な地点としては12.9km地点まで進みましたが、ここでの折り返しを判断しました。
理由としては信号一つ、極端に言えば一歩進む毎に明らかに数値が変わっている事がガイガーカウンターに表示される数値よりわかったからです。
更には原発作業員と思われる人たちが乗っているバスが我々の横を通過しました。
その風貌は全身白の防護服にゴーグル、専門的なマスク…この姿+数値の異常な急上昇にこれ以上先に進むのはただただ自分達の身を危険に晒す狂気者だと判断し、折り返す事を決断しました。
詳しい放射線量は同サイトの4月15日記載の文面にて当日ツイッターにてリアルタイムに報告した物が纏められていますので参照ください。
前日に震度6の余震があり、更には風向きにより数値の変化もありますが、危険に晒される可能性が原発に近づけば近づく程大きくなる事がわかります。

そして最終的な纏めになりますが、福島県の色々な地点を見た感想としては他の地域に比べて少し活気が無いように感じました。
その理由として簡潔に述べると原発があるからです。
地元の人からは反感を買う部分もあると思いますが、福島県での被災地域に関しては自衛隊やボランティアの数も少なく街の様子もゴーストタウンを思わせるような雰囲気です…これも原発による風評被害の影響でしょう。
他の地域に関しては今後の復興に向け、自分達が頑張ればと活気に溢れている印象です。
しかし原発の影響により避難している地域は、復興しようにも自分達ではどうにも出来ず先も見えない絶望感…これは推測ですが飯舘村で発見された自殺者もおそらく原発による影響でしょう。
我々は完全なる原発否定者です。
原発を推進するので現地の方の悲痛な声、状況一度見てもらいたいと思います。
その上でも推進をするのであれば理由を是非教えて頂きたい。
その理由がどこまで納得させられる話であるか…どちらにしても人道的な部分を疑う結果になると思いますが…。
風評被害もあるので念を押しておくと、恐れを抱く気持ちもわかりますが、少なからず避難対象になっている地域以外に関しては一部を除き、数値はそんなに過敏な反応するような数値ではありません。
それも我々の報告を見て頂ければわかると思いますので参照下さい。

以上乱文であり説明不十分な部分もあると思いますが、質問や意見、活動参加や気になる事があれば同サイトのコメント部分やツイッター上にてお声掛け頂ければ、対応させて頂くつもりですので宜しくお願い致します。

2011年4月15日金曜日

いわき市遠征中継

4/8 第三次支援部隊がスペイン、イタリアのジャーナリストを乗せ、いわき市に遠征した。
今回の任務は米、水などを避難所に直接配送。子供支援物資を被災地域保育園に配送。原発周辺地域での放射線量測定。自宅避難者の支援。被災動物の救出等。
以下、現地に向かったボランティアからのTwitterによるリアルタイム報告

*4/8 23:00を基準に
*15時間前 これから福島県いわき市に向かいます。最初は東京都中野区。ガイガーカウンターによると空気中0.12μSv/h、地面0.21μSv/h。東京都はやっぱり全然平気。
ガイガーカウンターによる放射線量測定。三郷ジャンクション移動中の車内0.21μSv/h。ほんの僅かだが数値が上がった感じ。でもこの前南相馬に行った時の感じからすると全然平気。

*14時間前
ガイガーカウンターによる放射線量測定。常磐道守谷PA、空気中0.30μSv/h、地面0.83μSv/h、室内0.26μSv/h。近付くに連れ若干数値が上がってる感じ。

*13時間前
ガイガーカウンターによる放射線量測定。常磐道東海PA、空気中0.20μSv/h、地面0.30μSv/h。北に行くに連れ一時下がっている。やっぱり距離じゃなく場所で違う感じ。
ガイガーカウンターによる放射線量測定。常磐道高萩IC付近、車内の空気0.35μSv/h。徐々に数値上昇中。

*12時間前
ガイガーカウンターによる放射線量測定。福島県いわき市勿来、空気中0.30μSv/h、地面1.27μSv/h。地面の数値は上がってきたな…空気中は大した上がってないけど地面は染み込んじゃっているのか?

*11時間前
いわき市勿来のカトリック幼稚園にて、おもちゃや絵本、ぬいぐるみを配りました。
いわき市の勿来から小名浜へ6号沿いを移動中。地震による道路の隆起は大分激しい。でも津波の被害はそこまで大きくない雰囲気。コンビニとかはやってて、パチンコ屋もやってたりする。

*10時間前
ガイガーカウンターによる放射線量測定。福島県いわき市小名浜の愛宕幼稚園、空気中0.30μSv/h、地面0.64μSv/h。ここもまだ数値はそこまで高い訳では無いか。
福島県いわき市愛宕幼稚園で物資の受け渡し。

*9時間前
ガイガーカウンターによる放射線量測定。いわき市中央台南小学校、空気中0.43μSv/h、地面0.75μSv/h。若干また少し数値が上がってる。楢葉町と言う原発から20km圏内の地域の方がここに多数避難してらっしゃるようです。

*8時間前
いわき市愛宕幼稚園から中央台南小学校への移動は極力沿岸部を通り、津波の被害状況を見た。やはり沿岸部はこの辺りも大分被害がある。ただ実際に見た感じで南相馬、石巻、いわきのそれぞれに被害の様子は違う。

中央台南小学校に避難している原発から20km圏内に住居を持つ方で老人の方は特に地元を離れたくないと言う人が多い。原発のおかげで家は残ってても集団生活を余儀なくされ、更にはこれから仮設住宅なりを探さなければいけない方の気持ちが計り知れない。

*6時間前
ガイガーカウンターによる放射線量測定。福島県いわき市の楽寿荘という介護施設、空気中0.85μSv/h、地面0.88μSv/h。いわき市内は放射線量にそこまで異常な数値は見られない。ここで物資が全部配り終わるのでとりあえず日没まで北上しながら測定。様子見ながら動きを考える。

ガイガーカウンターによる放射線量測定。ナビによる距離だと原発までおよそ18.4km地点末続駅辺り。車内の空気中1.04μSv/h。もうこの辺りはゴーストタウン。更に北上中。

ガイガーカウンターによる放射線量測定。広野町に入った。原発までの距離は15.6km。空気中1.22μSv/h、地面2.85μSv/h。やはり数値は上がってきてる。そして犬を既に発見。さっき買ってきた餌をあげてまた北上中。

*5時間前
ガイガーカウンターによる放射線量測定。福島県広野町の二つ沼自然公園付近、空気中2.05μSv/h、地面3.49μSv/h。警察と話したがここは20km圏外だと言ってる。ナビでの原発までの距離、地図での計測でも明らかに20km圏内。何か変だ…注意も強くせず、気をつけてください程度。

原発までの距離に関して我々は第二原発までの距離で計測、避難区域の距離は第一原発からの距離って事で我々の勘違いでした…すみません!

って事で今第一原発までの20km圏内に突入。ならは南工業団地という所。ガイガーカウンターによる数値で車内の放射線量は1.19μSv/h。段々上がってるんでゆっくりと計測しながら進んでいます。

*4時間前
ガイガーカウンターによる放射線量測定。第一原発まで約13.5kmの地点で楢葉北小学校付近での計測。空気中2.50μSv/h、地面4.87μSv/h。

ガイガーカウンターによる放射線量測定。第一原発まで約12.9kmの地点での計測。空気中4.78μSv/h、地面9.49μSv/h。一つ前の地点と600m程しか変わらんのに数値が凄く上がった…確実に数値が上がってきててここから先は振り切るのがわかりきってるのでここから引き返す。

以前南相馬市から南下しての12.5km地点で計測した時とは明らかに数値の上昇度が違う。これが風向きによる地域の違いなのか…それとも昨日の地震でまた数値が上昇してるのか。昨日の地震による原発の影響等を帰って調べてから色々考えてみよう。

*3時間前
福島県いわき市、ライブハウスソニックにて余ったペットフードを委託しました!ありがとうございました!

同行した外国人記者団のレポートは以下に掲載されています。
http://www.ilpost.it/2011/04/09/a-10-chilometri-da-fukushima/

2011年4月13日水曜日

3月収支報告


このプロジェクトを立ち上げて以来、多くの皆さんから金銭、物資両面で多額の援助をいただいており、まことにありがたい限りです。
遅くなりましたが、3月末までの収支内容の報告をします。

収入(3/23~31のカンパ)237,500円

以下、カンパ協力・物資提供の協力をしてくださった皆さんです。ありがとうございます。
※口座入金の方は字数制限で名称が削れてしまってます。申し訳ございません。

太田ノブ、リカ、みなみさか、斉藤日和、ゆうこ、塩沢、しのぶ、三橋、ヨシダカオリ、ウサミ ナオコ、コンドウヒデ、ムラセ モトヤス、ヤマウチトモ、ナカツカトモヒコ、ナカイエ アツシ、コバヤシ ヒテ、ラバンデリア、ヨシダジン、ヤマザキツヨシ、ヤマハラ ススム、アラキ タカシ、ナリモト エリカ、クロダケンジ、マツナガ ワタル、ハタ サヨコ、エンドウタエコ、ナカザワスケートソサエティー、ワタヌキマキコ、カトウヒロタカ、クボ、中村橋スーパーやまさん、沼袋土橋商店、大勢の伊達直人(敬称略)

支出302,698円 (3月期-65,198円)
以下、支出内訳です。
23日やまさんストアー 食品4,820円、23日つるかめ氷川台 缶詰3,465円、23日コモティーイイダ氷川台 食品5,619円、23日ドンキホーテ新宿 食品 清潔用品 日用品38,045円、23日ダイクマ平和台 食品 清潔用品 日用品33,948円、27日島忠府中 ペットフード、資材、防塵用品14,602円、28日土橋商店 下着 靴下145,005円、29日島忠春日部 防塵装備16,838円、29日島忠春日部 防塵装備980円、23日燃料1,870円、23日燃料6,196円、23日燃料5,122円、28日燃料2,950円、23日オマタ ポリタンク3,150円、25日燃料6,800円、27日燃料6,288円、23日食料7,000円

引き続きカンパのご協力をお願いいたします!

2011年4月6日水曜日

南相馬

金谷です。

3月30日。南相馬社会福祉協会に物資を届けに行きました。物資の引き渡しに少し時間がかかりそうなので建物から少し離れたベンチで一服。そこへ軽トラックに乗ったおじいちゃんが現れ僕の事をじーっと見てるので一礼。おじいちゃんに「あんたボランティアの人かい?」と話かけられたので「いや‥まぁ‥ええ‥東京から物資を届けにきてまして‥」と歯切れの悪い返事を返すと「今日配給じゃないって聞いてたんだけどなんとかならんのかねぇ」とひとりごとのようなまったりとした福島弁。おじいちゃんの話によると、明日の配給日まで食べる物なく近所の人達も困ってる。ダメ元で社協に来たとの事。自分達の車にもまだ食料が積んであった事を思い出し穴水さんに報告。穴水さんはおじいちゃんの話を聞き、とりあえず次の日の配給までの食料としてカップラーメン一箱を渡しました。社会福祉協会に集まった物資は皆平等に渡すのが原則なので‥内緒で持って帰ってもらってました(まだ受け渡す前の物資だったし(笑) その後も自分達で色々な所をま
わり直接物資を渡す事ができました(犬、猫達にも)

2011年4月5日火曜日

南相馬市の状況について

南相馬市の状況についてですが、デマ情報も多いので何点か言っておきます。
まず私達が3月29、30日に南相馬で実際に活動をしていた時の事はツイッターでリアルタイムに報告もさせて頂いてます。
その報告の中の放射線量について、いくつかの地点で測定し報告致しましたが、この放射線量について正しい数値か否かは私達も測定の素人ですのでわかりません。
ただ機械を使用し測定している事実は写真としてツイッター、並びにこのサイト内の南相馬の写真の中にも数枚残っています。
使用した機械に関して、数値の高い所では表示上限である9.9μSv/h、低い所では0.3μSv/hと言った表示もされており、目安としては十分に参考に出来ると思います。
3/29、30の状況ですので現時点では変化もある事は確実ですが、デマかどうかの判断として上記を踏まえてお考え頂ければと思います。

本題に入っていきます。
南相馬市に関して、物資に関しては私達は伺った3月30日時点では石巻市同様倉庫には最低限の量はあるという印象です。
しかしやはり問題は自宅に残る人、南相馬市においては原発の影響で一時は避難を余儀なくされたが自宅に戻った人達に対する物資の提供である。
実際に地元の方にも伺った人の中には食料が無く、午前中の時点で明日まで食べる物が何も無いという方がいたりしました。
そういった声を聞いたのもあり、私達は南相馬市においてはこういった人達を探しながら物資を配ったりといった活動を行いました。
しかし石巻市と同様に物資の有無よりもどの家には人がいる、いないと言った状況把握がしきれていない事が満足に物資が行き届かないという状況だと感じました。

そして状況把握が出来ていない理由として人手不足という点も当然ありますが、風評被害という点も理由としてあります。
これは私個人が感じただけでは無く、実際に私達が物資を提供した地元の方達からも出た声です。
小さい事かもしれないが実例を一つ挙げると、実際に私達が南相馬市内で物資を配る為に個人宅を回っていた時に、避難所に連れて行けない動物(主に見えたのは犬)が残されている家が沢山ありました。
汚れてしまっていて見た目では野犬と感じてしまう犬もいましたが、私達が触れ合った犬達は噛み付いたりする様な狂暴な犬ではありませんでした。
これは同サイト内に犬と戯れる私達の写真からもお分かり頂けると思いますし、ツイッターでリアルタイムな報告もしてます。
偶然にもこの翌日様々なニュースで避難地域に残されたペットが野犬化で噛み付いたりしていると報道がありました。
実際にそういったケースもあるのかもしれませんが、私個人としては報道でそこまでの過剰な表現を用い警戒をさせる程の狂暴な犬が多数いるとは思いませんし、噛み付く犬なら東京都内にもいるでしょう。
しかしその様な表現により、地域に近づく事を恐れさせている…これは風評としても判断も出来るのでは無いでしょうか?
言い方は適切では無いと思いますが、これ同様大小問わずともメディアが刺激のある放送を求めるが故に過剰な表現により作り上げる風評被害もあると思います。

そして上記も全てここに繋がりますが、風評被害の全ての原因は原発です。
風評被害の定義として、災害、事故及び不適切又は虚偽の報道などの結果、事実無根の損害を受けることとあります。
その上で、原発問題で関係機関が発表する内容以外の情報を流すと摘発というのは冗談にしか思えません。
そう思う理由は、仮に摘発の理由として風評被害を減らす為ならば、曖昧な表現の情報、世間が知りたいとされる十分な情報を開示しない事は世間を惑わす風評にならないのでしょうか?
例えば「直ちに人体に影響を及ぼさない」なんて曖昧な表現が安心を生むかどうか…むしろ疑問を抱き、惑わされた人が何人もいると思います。
デマ情報の中には、曖昧な表現であるが故に憶測をし、その憶測が悪意は無かったが結果的にデマになってしまったと言う事も可能性としてはあるのでは無いでしょうか?
当然悪意のあるデマ情報もあるとは思っていますが、事実を隠すような曖昧な表現により惑わせる事も十分悪質だと私は考えます。
摘発を今後していくつもりなのであれば、それに伴った確かな情報を発表し、筋の通った理由を持って行使するべきだと私は思います。
それが現状の風評被害を少なくする為にも現状のしっかりとした情報提示は最低限必要だと感じています。


余談ではありますが、デマによる風評を防ぐ為でないとしてもう一点考えられる摘発の理由としては、公表したくない事実を発表されるのを防ぐ為です。
私は自ら計測した放射線量の数値により、避難地域の指定を放射線量による判断の指定では無いと考えています。
仮に数値を問題として避難をさせるのであれば、避難地域を見直すべきです。
違うと言うのであれば、現状の避難地域の指定理由、確実な安全を確信出来る情報をただちに公表するべきだと思います。
しかしそういった安全をしっかりと公表しない事から、私は原発から20km圏内を指定とする理由は現状の放射線量による判断では無く、今後この地域が危険に及ぶ可能性がある為だと考えています。
その危険が起こる可能性が高いのであれば、恐らく危険だとハッキリ言うでしょう。
しかし危険だとも言わない理由として、もし何も起きずにこのまま事が済んだ暁に更なる原発の建設を推進しやすくしようとしてる為ではないかと私は推測しています。
その為に危険性を示唆する原発の情報を発信され、原発の推進をし辛くする事を回避する為の情報規制と私は考えています。
この期に及んでまだ原発を推進する人に言いたい。
そんなに作りたいなら隔離された土地に引越し、自分の家の前に作ってください。

ちなみに実際の地点毎での3月30日時点での放射線量の詳細については私達数名の3月30日のツイッターを見ればわかると思います。

以上非常に乱文ではありますが、南相馬市の状況です。
状況というよりも私情が多くなり、Human Recovery Projectのページに記載するのはどうかと思いましたが、何卒ご理解頂ければと思います。
賛否両論あるとは思いますが、時間の都合上、少し慌ててアップした為に記載するべき事項が抜けている可能性があるので追記がある場合には改めてアップ致します。

2011年4月1日金曜日

石巻市、南相馬市の被害状況について~石巻市

南坂と申します。
石巻市、南相馬市に自分の目で確かめ感じた事を個人的感情等も交えつつ報告しようと思います。
反感を買う言葉も中には出てきてしまうしれませんが、自分が感じたリアルを出来るだけ伝える為です。
この文章はリアルに拘りたいので自分が直接現地で感じた事、現地で聞いた声だけを参考に全てを書きます。
ニュースやメディアの情報からの情報は一切無いリアルな状況です。
しかし現地の状況はリアルタイムに変化しています。
この報告に関しては3/23~3/26までの石巻市周辺、3/29~3/30までの南相馬市周辺の報告であり、今現在の状況と考えるのでは無くあくまでも参考としてお考え下さい。
長文になってしまいますので石巻市と南相馬市を二つに分けてアップしようと思います。


まず石巻市についてです。
物資に関しては、満足の行く範囲とは言えないまでも、必要最低限は行き渡っているのが印象です。
おそらくこの状況はどこでも同じと思われます。
断続的に必要な物(食料、生理用品、etc)はこれからも必要ではありますが、今集中して届けるよりもこれを長期に渡り継続的に届けられるかどうかがこれからの問題になると思われます。
衣類等も余っていると言っても良いくらい倉庫には置いてありました。
しかし状況としては一日におにぎり一個、水一杯と言った場所も数多くあります。
原因としては、食料が足りていない事よりもそれを細かく配る人、車、炊き出しをする人が足りていないという事です。
ただし、これは避難所に限った話です。
石巻市で実際に聞いた話ですが、避難所(特に指定されている避難所)に関しては物資が行き渡るが、例えば津波により家を失った為に知人の家に住んでいる方等には物資が行き渡っていなかったりします。
理由は物資が足りていない、届けないのでは無く、どこにそのような人がいるかがわからないからだ。
さらには船等に道を塞がれ通れなくなっている道の先に残る形がある家に住んでいる人も多数いると思われる。
この様な人を探す為にも何人もの人が街を歩き回り、一件一件を呼びかけて回るくらいの事をしなければ全てを掌握出来ないと思われる。
皆、避難所に行けば良いのでは無いかと思う人もいるかと思うが、石巻市に置いては宮城県全体の避難民の3分の1が避難している状況で避難所も人を受け入れられなかったりする状況なのです。
では離れた場所の避難所に行けばと良いと考えられるかもしれないが移動する為の公的交通網は遮断され、ガソリンも無い状況で動けないのです。

現地の人たちも現実を受け入れ前向きに動こうとしている為、必要とする物資も変わってきています。
私が石巻市にいた時点では「長靴」「ゴム手袋」「パンクの修理キット」等が現地の方の声として挙がってきました。
パンクの修理キットは私も現地の声を聞いてなるほどと思いましたが、皆さんガソリンが無い為に自転車で移動をしようとします。
しかし瓦礫の上を走る事によりすぐにパンクをしてしまう為です。
こういった形で常に現地ではリアルタイムに状況が変化している為に出来る限り物資の支援に関しては最新の現地の状況を入手する必要があります。

物資に関しては以上です。


次に石巻市で自ら聞いた話では津波で被害を受け中がボロボロでも形がある建物においてはそのまま使用する人もいます。
実際に私もそういった建物(介護施設)内で津波により入ってしまった泥の掻き出しを行いました。
建物の一階部分に厚さ20cmはあるであろうヘドロが一面に満遍なく敷き詰められています。
更にはそのヘドロの中に家具が散乱しています。
こういった家具等を全て外へ出し、その上で泥を全て掻き出し、その後で全てをブラシ等を使い綺麗にする。
工程としてはシンプルで簡単に聞こえるかもしれませんが、老人用のオムツは水を吸った為に物凄く重くなり、倒れたタンスの中にも泥が大量に入り込み、一つ一つの物が通常よりも重くなっています。
更には足場もガラスが散乱していたり、ヘドロに足を取られたりと思うように行動が出来ません。
11人で半日の時間を費やし、作業が進んだのは建物の大物家具を外に出し、泥の掻き出しを何部屋が終了しただけです。
他の部隊も他の建物で同じ作業を行いましたが、一日に進むペースには限界があります。
理由としてはそういった建物がある地域は電気が通っていない為に辺り一面が暗闇に包まれたりする為です。
共に行動をしていたNGO団体の方の計算では、この泥の掻き出しを今のペースで行うと石巻市全体に残された住居だけでも十数年かかるとの事です。
この点においても言えるのは人手が圧倒的に足りないという事です。


他にも数多く伝えなければいけない事はありますが、文章をまとめるのに時間がかかる為、南相馬市の事も含めまた明日の午前中にでもアップさせて頂きます。

ただ全体的に言えるのは「人手が足りない」という事です。
この文章を見てる方で味噌汁一杯を貰い、泣きながら「暖かい、美味しい」と食べた事がある人はいるでしょうか?
今現地の人が発する「ありがとう」の言葉を聞けば本当の感謝の気持ちを感じない人はいないと思います。
現地の人は本当に物資一つ、食料一つが届く事、全ての事に心から感謝をし、電気が灯る事に感動し、生きています。
個人的な意見ですが、メディア、周りに動きに踊らされ買占めをしてる方が現地の様子を見ると、おそらく買占めをする気は失せ、自分が愚かとさえ感じる方もいると思います。
勿論現地に行く事が全てとは思いませんし、日常を保つ事は大事だと思います。
金銭面、家庭環境等の生活に害の及ばない範囲で、協力出来る事を一人一人が行って欲しいと切に思います。


以上乱文では御座いますが石巻市の状況に関しての簡単な報告とさせて頂きます。


「欲」の為では「生きる」為に助けを必要としてる方が沢山います。
今こそ皆で助け合いましょう。

南相馬の写真 Pictures from Minami-Souma

2011年3月28日月曜日

報告:石巻市

石巻市に3日間入ったマツダです。

現地の状況を報告します。

・被害
石巻は海沿いは漁港が多く、係留していた船が町中まで来ている風景が多くみられました。
津波の高さは女川等に比べるとそこまで高く無かったようで、建物は残っていたり、一階部分だけ浸水という地区がほとんど。
ただ、建物内への泥の侵入が酷く、この泥の掻き出しの作業がこの先ずっと続く事が予想され、一部の試算では、このペースで掻き出しを続けても、作業を終えるまでには10数年かかるとの事。とにかく人手が足りない。
沿岸部や川沿いから少し入ると嘘のように建物はキレイにちゃんと建っていて、そういう地区ではライフラインも少しずつ復活してきていて、今回の災害は地震ではなく津波の災害という事がよくわかる。
また道路状況に関してはかなり復活してきていて、たった3日の滞在でしたが、帰る頃には道もかなり平坦になり、三陸道、東北道もかなり復旧しています。

・避難所、被災者の状況
現在NGO、市役所にて把握できている避難所は大小含めおよそ250箇所(常にリスト化され、各機関で共有されている)。その内避難所指定されいる所は30数箇所程度。
指定されている所に関しては、物資も行き届いていて、電話機等も設置され、お風呂のサービスなんかも始まっています。その他の小さな避難所でも格差はあるもののほぼ物資は行き届いている状況。ただ毎日数カ所の新たな避難所(身を寄せ生活している場所)が発見され、全然物資が行き届いていなかった場所も見つかっているのも現状。また避難所リストにあがっていても、まだ市とNGOと自衛隊の連携が噛み合ず、物資不足で一日おにぎり一個、パン一個の様な生活を送っている箇所もあったりして、連携の強化が早急に進められています。
ちなみに現在は自治の炊き出しを除くと一日に20数団体が各地で炊き出しを行っているが、一日一日場所が変わるため、今日は良かったけど明日からは…という不安を抱く被災者も多い。
前述した通り、家が無事でそこで生活をしている被災者も多いのですが、情報不足、またコミュニティーが弱い地域が多く、すぐ近くで炊き出しをやっている事も知らず、毎日わずかな食事しか摂れていない人や、避難所に届く物資を取りに行ってもよそ者扱いをされ、何ももらえない人も居るようです。

・治安
警察発表では25日までに発生した窃盗は300件を超え、3人の逮捕者が出た。中には県外の窃盗団も含まれているそうです。二階部分に被害が無い家を狙ったものや、自販機が壊されたり、県外車を狙った車上荒らしや、燃料の抜き取り、暴行事件も増えているようです。しかし、中には津波によって流された車両等から燃料を抜き取る事が『窃盗』と呼ばれたり、『中国人窃盗団が来ている』等、未確認だがデマと思われる情報も錯綜していて、避難所内での小競り合いやケンカも多く、疑心暗鬼な空気が漂っています。

・今必要な物
まずはとにかく燃料。暖をとるにも、電気を発電するにも、復興のために動くのもまずは燃料が必要。市内のガソリンスダンドはほぼ休業で、緊急車両のみ対応の店がほとんど。少しななれた仙台でも早朝から100台以上の列ができ、8時間待ちで結局給油できないという状況もあったり、かなり深刻。昨日大型タンカーが塩竈港に入ったので、ここから改善されていくのを期待したいです。
そして、人手。泥の掻き出しや、継続的な炊き出し、支援物資の配達を続けるには、より多くの人手が必要です。
現在石巻では専修大学のキャンパスを中心に様々な団体がボランティアを受け入れたりしている。時間と自分の生活を保てる人は現地に行って、たった1人の力でも大変に大きな助けになります。

取り急ぎ現状を乱文にて失礼致しました。

2011年3月27日日曜日

最新情報と新たな呼び掛けです

これまでカンパや物資を提供してくださった皆様、ありがとうございます!

n.a.m.号は3/23に石巻に到着して以来、本日3/26時点まで仙台、石巻、女川周辺にて物資輸送を展開してきました。
3/24には第一次物資を無事、仙台バードランドに届けることができました。そこで知った現状として、仙台、石巻周辺はすでに全国から物資から集中しているようで、今後、早ければ来週半ばには、より困窮した福島原発周辺エリアにも物資を届けたいと思っています。

被災地における必要な物資が日々刻々と変化しているようです。次回は、風呂代わりになるようなウェットティッシュなど体を拭くものといった清潔・衛生用品、そして下着類をみなさまより頂いたカンパで調達、輸送する予定です。

【新たに呼び掛けたい物資】
<あくまで備蓄品から。新たに購入するのであれば、むしろカンパがありがたいです。>
・娯楽用品(例えば、おもちゃ、本(絵本、児童書含め)、スポーツ用品など)
・電気機器(ラジオ、CDプレイヤーなど) ・ガソリン携行缶 ・灯油用ポリタンク

【物資の集約場所】
・n.a.m.倉庫…東京都中野区鷺宮4-34-1 tel:03-5987-7901
・IRREGULAR RHYTHM ASYLUM…東京都新宿区新宿1-30-12-302 tel:03-3352-6916 13:00~20:00 月・水曜定休
・素人の乱12号店…受取可能な日時を調整中のため、詳細追ってお知らせします

【情報の呼び掛け】
被災地の現状に関する情報、主に福島原発周辺地域に関する情報を求む。こちらまで↓
n.a.m@me.com

【参加の呼び掛け】 共に被災地現地に入り、支援活動を行う仲間を募集中!

【現地からの最新情報】
[宮城県]
・認知されていない避難所について…行政からの報告はなく、現地入りしているボランティアが実際に足を運んで発見している状況。当然、未認知の避難所においては物資が不足している。
・救援物資詐欺…ボランティアを装って物資を提供した後に商品代を請求する者、あるいは、ボランティアを装って物資を受け、闇市のような形で高価な値段で取り引きする者など、「ボランティア詐欺」なる者が出現。地元住民の間で大手ボランティア団体以外の個人有志ボランティアへの警戒心が発生しつつある。
・外国人窃盗団…未確認情報。おそらくデマ。
・燃料不足が非常に深刻。物資は備蓄されつつあるが、それを運ぶ燃料と車両が不足。
[福島県]
・福島原発の北、半径30キロ圏内に位置する南相馬市は特に困窮しているとの情報あり。移動できない高齢者が数多く残されているとのこと。治安や放射能汚染に対する不安により行政から見離されている状態にあり、物資不足を始め、非常に切迫した状況とのこと。

【その他情報】
・被災者に対する差別「被ばく差別」…原発周辺地域から南関東に逃れてきた被災者に対する差別が報告されている。東京では、原発周辺地域の車ナンバー(例えば「いわき」ナンバー)の避難民に対する宿泊拒否、ガソリン給油拒否、排除などの差別的行為が発生しているとの情報あり。

【音楽に関わる人として…】
今回の原発事故等を機に、電気とは無関係ではいられないバンド関係者としての活動の在り方、また、一人の人間としての生活の在り方を考える良い機会だと思います。
いつも惜しみなくバンド/音楽活動を支えてくださるたくさんの人々の顔を思い浮かべながら、全国・全世界の音楽仲間と共に支援活動をやっていきたいと思います。

★来週には本プロジェクト専用のカンパ振込用口座を新たに開設します。引き続き応援・支援のほど、よろしくお願いします!★

contact: n.a.m@me.com