2011年6月7日火曜日

弟9部隊 気仙沼、南三陸

6/4~5、気仙沼南三陸に入りました。今回は東京から気仙沼へ『歌声喫茶』の支援で向かった川村さんという方の音響サポートをメインに活動を展開しました。両日共に現地へ入った隊員より報告のメールが一日ごとにあったので、以下に転載します。

1日目気仙沼小学校と中学校にて、歌声喫茶のPA音響サポートとバナナジュース、ZINE用のノート(詳しくは前回の[WANT YOUR VOICEを一読下さい])を展開しました。
避難所はどちらも全体で100人位と、事前に聞いていたほどの規模ではなく、土曜日で人がいない(ほとんどがガレキの撤去などで出払っていた)ことから、歌声喫茶には小学校で10人くらい、中学校で20人くらいが参加。中学校では一部のコアなお年寄りファンの心をつかんで非常に感謝されていました。
バナナジュースが老若男女、被災者、ボランティアの区別なく非常に喜ばれたというのは大きな収穫です。歌声喫茶は対象年齢が高く老人の方中心なのに対し、バナナジュースは子供たちを中心にバカ売れでした。ノートに関しては自分達になついた子供たちが熱心に書いてくれましたが、お年寄りなどは恥ずかしがっていました。

この2つの避難所はどちらも支援物資があふれていて、自衛隊の炊き出しも定期的にあり、ボランティアもしっかり組織されていた印象です。おたぱっく物資(おもちゃ、本などの子供向け、娯楽物資)の引き受け先を探すことも個人的任務のひとつだったのですが、マンガやオモチャはあふれていました。
そして他の地震津波の被災地同様に人々は比較的明るく、こちらから話しかけなくても話しかけてくれる感じでした。
また特徴的だったのが「一度きりボラ」に慣れているようで、「またいつくるかわかんないんでしょ?」とか「どうせすぐ帰っちゃうんでしょ?」などと散々言われました。その通りなので返す言葉もなかったのですが…それでも胸に突き刺さっています。

最後に気仙沼の被災状況ですが、そのリアス地形という特徴的な地形からか独特なものでした。まったく無傷な地域と一面ガレキの山の地域との間に境目がなく、ほんの少し土地が隆起している場所では建物も道路も無事で人々が生活を営んでいる…といった様子です。震災直後でもないので車の通行に困ることはほとんどないと思ったのですが、我々が宿泊した民宿の周囲(階上・岩井崎エリア)は今でも冠水している状態です。

明日の行動で決まっているのは午前中の歌声喫茶のみ。人数も増えて午後からいかに行動を展開できるか…が課題となります。オヤスミナサイ。

2日目報告
朝7時半起床。民宿(気仙沼の[崎野屋[)のおじさん&おばさんに話を聞いているうちにあっというまに出発時間に…
本日は朝9時に気仙沼面瀬中学校からスタート。後発便と合流して歌声喫茶のPA音響サポート、バナナジュースとノートを展開しました。
面瀬中学校は避難所となっている体育館のすぐ横に仮設住宅があり、すでに大半が入居をすませていました。避難所に残っているのは抽選に落ちた人達で、みな行政への不満を口にしていました。総数70〜80人。物資は足りている様子で、マンガやオモチャも沢山ありました。
歌声には子供も参加。次々にリクエストがあり、小規模ながら音楽がもつ人を癒す力を実感させてくれました。
そしてここでもバナナジュースは二度買い足しに出るほどの好評ぶり。風邪をひいているひとが「久しぶりに起きた」とか言いながらお代わりしてくれていました。バナナジュースの大きな利点として、被災者とダイレクトなコミュニケーションが取れるという点があります。子供も老人もバナナジュースを通して会話してくれていたので、様々な情報が得られました。
二時間くらいで撤収し歌声チームとお別れ…歌声喫茶支援のおかげで第9部隊は成り立っていたので本当に感謝です。

この後一応気仙沼ボランティアセンターに立ち寄るも仕事はなさそう…なので、南三陸町ベイサイドアリーナに移動して写真洗浄をすることにしました。

未だ通行止めの45号線を迂回して1時半頃到着。自衛隊の車両も増え、避難所としての役目を終えたベイサイドアリーナは雰囲気が違ってみえました。

写真洗浄は地味だけど、誰にでもやれて常にニーズがある作業です。ハケと筆と歯ブラシで丁寧に汚れを落とし、バラ写真・セット・アルバム・画集や賞状・ノートなど種別に吊るしてゆきます。「なにかやりたいけど、どうしたらよいかわからない」という個人ボラにはおすすめです。
日が暮れる前には洗浄作業時間が終了してしまうので、志津川高校の物資担当”ともちゃん(前回の南三陸支援の際大変お世話になった)"に連絡を入れてバナナジュースを配れるか確認。結果志津川高校に移動することに決定。
ちょうど東京から来ていた一行が炊き出しの最中だったので合同でバナナジュース作戦決行。バナナジュースの機動力を実感。避難所の中まで入ってほぼ全員に配りました。
皆が作業している間に俺はひたすら物資担当の"こうちゃん(初回におたぱっく物資を持っていった時HRPを歓迎してくれた方)"&"ともちゃん"とお話し…仮設住宅の問題点やメジャーメディアのふざけた報道姿勢など…今後につながる貴重な話を沢山聞けました。
終了後、なんと炊き出しのお弁当を全員頂き帰路へ… 行き当たりばったりながらも精力的に動けたといえる1日でした。

町をみる限り南三陸町は復興へと着実に進んでいるように見えます。重機も入りガレキの山をかき分けるように道が増え、土地も整備されはじめていました。しかしライフラインの復旧はまだまだです。志津川高校には電気こそひかれているものの水道はまだ2割…それでも先週の倍ですが…塩分が多くて飲むに耐えない状況は相変わらず…毎日届く30数パレットの水を前出の二人が自衛隊の車両をかりて他の地域に配送しているとのことです。義援金から各世帯10万、県から30数万が配られたとのことですが、国から出るはずの見舞金100万や法律上は毎日一人あたり1050円出ているはずの食費も現在まで未払い…。
志津川高校でお弁当を頂いたり、気仙沼の避難所でも子供から袋ごと飴をもらったり…といった場面は避難所の変化を象徴している出来事でした。物資は足りているが人手が足りない。夏にむけての暑さ対策。仮設住宅の問題。志津川高校の近くに9月に次の仮設住宅が完成する予定で、避難所もそれを目処に解体してゆくそうです。となると、今後の支援のあり方も問われてくるでしょう。

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