2012年12月11日火曜日

WHAT A HELL FUKUSHIMAの売り上げを寄付しました

2011年8月6日に急遽リリースした、反原発コンピレーションアルバム「WHAT A HELL FUKUSHIMA」
急な呼びかけに答えてくれた全国の28バンド。
またCDの流通では全国の仲間の協力があり、先月21日の時点で約800枚を売り上げ、当初からの予定であった「売り上げは全て南相馬へ直接持っていく」事ができました。そのご報告です。


WHAT A HELL FUKUSHIMAの2012年11月21日時点の売り上げ ¥915,857を含む¥1,000,000を、2012年11月28日 南相馬にある「特定非営利活動法人 さぽーとセンターぴあ」へ寄付致しました。

この「さぽーとセンターぴあ」を知ったのは今年2月にHRPが行ったマスク支援で事業所を訪れた時からでした。
同法人が運営する事業所は
・地域活動支援センター 自立研修所えんどう豆
・生活介護事業  デイさぽーとぴ~なっつ
・就労継続支援(B型・非雇用型)事業 ビーンズ
の三カ所。えんどう豆とビーンズでは最近、いろんなライブ会場で目にする、ひまわりの種が入った缶バッチを製作している所です。

原発事故により避難命令や屋内退避命令が出され、街から人が居なくなり、物流が止まり、福祉サービスもストップしている中、障害をもつ方々、高齢者が多く取り残されている現実を同法人理事長の青田さん達は目の前にし、その場に残り、事業所を開け、物資を運び入れ、またそれを配り、支援を続けたと聞きました。
その後も、国や県の判断を待たず事業所を再開させ、街に残る要支援者の調査を自主的に行なう等、HRPの活動原点である「実効性のある支援活動を行い、行政機関を突き動かして行けるような活動展開」ともリンクし、大変共感させられ、寄付する事に決めました。


寄付するにあたって11/28にぴ〜なっつを訪れ、青田さんと施設長の郡さんにお話を伺いました。

震災が起こった後、建物の被害が無かったぴ〜なっつを1週間で再開させる予定で居た矢先の福島第一原発の爆発。
「今すぐバスで避難、自分で避難、いつでも避難できる体制で街に残る、という選択を迫られました。職員はほとんど避難してしまったので事業所は閉じざるを得ない状況だった」と言います。
しかし、閑散とした街に残ったのは障害者、高齢者、またその家族が多く、ぴ〜なっつのもとへのSOSが絶えず、「避難するよりそちらが先」とすぐ避難できる環境を整え青田さん達は残ったそうです。
「顔を合わせる障害者の家族を見ていると、「大丈夫大丈夫」と口では言っていても、明らかに体や顔の傷が増えていたり、顔が疲れていたり…みんなストレスがたまってきているのがわかったんです。」
そこで国や県に再開できるよう交渉したが中々許可が下りない…しかし待ってはいられなかった青田さん達は「自己責任で」と事業所を再開させました。

福祉関係の団体から届けられる物資を、行政の「平等の原則」では届かない人達の元へと配る中で、「いったい障害を持った人はどれだけこの地に残っているのか?どこに居るのか?どんな状況なんだろう?」と思い、

市に「障害者手帳を持っている人全員を調査したい」と申し入れるが、様々な業務に追われ手一杯の市役所の職員達。
市長からは「市でやれる状況ではないから民間の力で安全を確認して頂きたい」
それならばと、市へ個人情報の開示を求め、他の福祉団体と協力して4月30日より一ヶ月半にも及ぶ訪問調査を始めたそうです。
「物資も一緒に持って訪れた先では、食べる物や、薬や、買いためてた物が底をついていたり、今までは隣近所の支えで生活が出来ていた重度の障害者も、原発事故のせいで突然みんなが避難したために、何も状況がわからないまま取り残されてしまっていた。『誰も来てくれなかったから一歩も動けなかった。』という人も多く居る事がわかり、そんな困難な状況の人達に必要な支援をしていきました。」

最近の状況に関しては
「これまでできていた地域生活ができなくなり最近(事業所へ)来た人も多いです。また仮説住宅から通う職員や、利用者も多いのですが、ストレスがたまり易く、これまで以上にメンタルのケアが必要になっています。PTSDの症状がみられる方もいます」

様々な場所や場面で依頼されては足を運んでこのようなお話をされている青田さん、郡さん。

青田さんは「ここで何があったか、残った人が声を出して繋げていかないとまた同じ事が起きるかもしれない。もしもこの話を聞いて繋がったから助かった、という人が出てくるかもしれないし、逆に繋がらず命を落とす人が出てくるかもしれない。一人でも二人でも話が繋がれば、またそれがさらに他の誰かに繋がっていけば、という想いがあるんです。」
また
「例えば事業所を、利用者を守るにはどうすれば良いでしょう?利用者の方々や、居宅介護を受ける方々に聞いてみて下さい。何かあったら誰が来てくれると思いますか?と。そうすると『ヘルパーさん』と答えます。そうです平常時に災害を想定した時は、従業員全員が駆けつけ支援にあたる、という想定をしますよね。でもよく考えてみて下さい。全員が駆けつけれると思いますか?まず子供の居るスタッフは来れないでしょう、自分の家族を守るか、事業所を利用者を守るか、どうでしょう?また公共交通機関、車を使って出勤していた人は動きたくても動けませんね。そうなると、近くに居る人、バイク、自転車を使って通える人しか来れない。いざとなった時に自分は駆けつけられるのか?それを普段から想定して考えてみる事がとても大切です」と自らの経験をもとに語ってくれました。

支援と平行して本来の事業の方もペースを戻し、現在三箇所ある事業所は元通り(びーんずに関しては倍増)の利用者状況まで戻っていますが、震災前の職員の方々は戻ってこれず、限られた職員での激務がまだまだ続いるそうです。
職員数の関係で、未だ夜の部が再開できないぴ〜なっつ。今後夜の部も再開して、原発事故により混乱してしまっている障害者、高齢者の方々の生活を支えていく。
微力でもこのCDの売り上げが力になれればと思います。